イタリア自動車雑貨店
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 イタリアが好きだ。イタリアに行きたい。そんな想いがふくらんで、いつしかそこでの暮らしを夢みるようになっていった……。待っていたものはなんだったのか。当店スタッフ山崎基晋は、京都での生活をリセットして、憧れの国イタリアへ飛んだ……。

第8回 「モヤモヤの日々」



うまくいっているはずだった

 イタリアで暮らしてみようと一大決心をしたのは、2000年の3月のことだった。すんなりと、という訳にはいかなかったけれど、その日から7ヵ月後の10月15日、ミラノでの生活がスタートした。憧れていた、観光旅行ではない本物の暮らし。はやくこの場所に慣れようと無我夢中で、あっという間に時は流れた。

  語学学校に通い始め、いろいろな国籍の生徒に混じりながらイタリア語を学ぶ。最初はイタリア語のみで進められる授業にとまどっていたし、教師に質問をされるたび、そして外国人と話をするたびに、緊張で体中が汗びっしょりになるほどだった。

  ヨーロッパ圏はもちろん、中東、アフリカ、南米、そしてアジアから言葉を学びに来ている生徒と一緒に過ごす時が、一日のすべてと言ってもいい生活。挨拶を交わし、バールでカフェを飲み、レストランで食事をし、放課後の時間を共有する。少しずつ、少しずつ、会話を重ねることにより、お互いの理解も深まり、様々な人種の中で感じていた違和感も徐々に薄れていった。

  ミラノで暮らす同年代のイタリア人とだって友達になった。授業の中で使われる言葉と違う話し方を真似ながら、輪の中に入り彼らの生活を覗いてみる。週末になると待ち合わせをして、オンボロの小型車に乗って、ディスコにでかけたりした。ピッツェリアでの食事、誰かの誕生日パーティーでの大騒ぎ、そんな楽しい時間を彼らと共有することもできた。

  イタリアに到着して、アパートでの共同生活を始めて2ヶ月が過ぎた12月の1日、同居人である大家のワグナーの都合で、アパートを出て行かなければならなくなった。新しい部屋を探さなければならない。不動産屋と、語学学校の賃貸アパート斡旋担当の元へ通い、紹介された何件もの物件を見てまわり、何度もオーナーと交渉する。やっと12月22日、なんとか新しい生活場所を確保することができた。家賃は高かったけれど、44屬離皀離蹈ーレ(mono locale=ワンルームの賃貸アパート)。名実ともに一人暮らしが始まった。

  誰にも邪魔をされない自分だけの時間が手に入ったのだ。好きなときに食事を摂り、シャワーの順番も気にせず、テレビも好きなだけ見ることができる。このイタリアで憧れの生活を手に入れた、と思い込んで有頂天になり、日本で暮らす家族や友人、残してきた恋人に毎日国際電話をかけた。

 うまくいっていると思っていた。順調に進んできた2ヶ月だと思っていた。

問いの重さ

 一体、何のためにイタリアにいるんだろうか。

  ある日、突然、自分の心の中にそんな疑問が芽生えていた。一人暮らしを始めてから2ヶ月、ミラノに住んでもう4ヶ月以上が過ぎていた。人に会うのが億劫で、言葉を交わすのが面倒で、語学学校もさぼりがちになっていた、食料品を買い求めるためにスーパーマーケットに出かける以外、ずっと部屋にとじこもったままだった。

 一体、何のためにイタリアにいるんだろうか。

 授業を受けようと語学学校に向かっても、その気にならず自習室でボーっとしてしまう。僕にとっての放課後のもう一つのレッスンの場にもなっているこの場所で、積極的に使おうと心がけていた覚えたてのイタリア語も、それを試すのを躊躇してしまう。おかしな発音や文法的に間違った話し方をしている日本人の会話が耳に入ってくると、まるで自分自身の姿を鏡で見ているような気分になった。

  自習室には、そこの生徒以外にも、ミラノで働いている日本人なども時々顔を出す。すると彼らはよく僕に訊いたものだ。イタリアに何をしにきたのか、と。そのたびに、自分には明確な目標があったわけではなく、イタリアでただ暮らしてみたい、という衝動だけだったんだと再認識した。そう思いはじめると事態はさらに悪化し、自習室からも自然に足が遠のいてしまった。

 一体、何のためにイタリアにいるんだろうか。

  お世辞にも快適とはいえなかったけど、モノロカーレの狭い部屋の中に一人でいる時、心が落ち着いた。携帯電話の電源を切り、オレンジ色の薄暗い天井照明のもとで辞書と教科書を開き、何時間もそれに向きあった。イタリア語さえうまく使えれば不安は全部解消するはずだと。上手く言葉がでてこないコンプレックスを、そうやって誤魔化そうとしていた。と同時に、誰とも話さないことで、明確な目標を持たずにイタリアに来たことを悟られないようにしたかった。

 一体、何のためにイタリアにいるんだろうか。

 その問いが来る日も来る日も頭から離れなかった。


                    日本を離れて暮らすということ

 ミラノで暮らしていると言えば聞こえはいいかもしれないが、語学学校に通い、イタリア人と遊びまわるだけでは、本当のイタリア人社会は見えてこない。自分の抱えるこの状況が、現実的かつ根源的な問題だった。どんなに長い期間このまま同じように過ごしても、状況は変わらないだろう。

  きっと自分の探していたものがあるはずだ。そう思って、今までの日本での生活を強引にリセットして、ここでの生活を始めた。イタリアの自動車を好きになり、イタリアという国に興味を持ち、そこには宝箱みたいに魅力的なものがたくさん詰まっている、そんな世界を想像したことは、一面正しく、でも別の角度から見れば全然見当違いであることに、その頃の僕はぼんやり気づき始めていたんだと思う。漠とした不安も、焦燥も、すべてはそこに源があったと、今になればそれがわかる。

  ただこの地を踏むだけで、何かが変わるような気になっていた。でもそうじゃない。その先がなければ、長期の観光旅行のようなものだし、人生なんてチョコレートのように甘いだけだ。日々の受動的な状況に流されて、ストレスに押しつぶされてしまうのがオチなのだ。

 外国で暮らすということは、異質の文化の中で生きていくということに違いない。今まで日本で何十年も暮らしてきた自分の、いや、日本人の常識から遠く離れることだ。食べるものも違えば、考え方も違う、遊び方も違うし、働き方も違う。その中に身を置けば、困難があってあたりまえなのだ。

  その困難を越えていく原動力になるのは、当然と言えば当然のことだが、明確な目標だ。自分は何をしたいのか、という明確な目標だ。恥ずかしいことだけど、僕はイタリアに来るということだけでいっぱいで、じゃあ、そこで何をするのか、ということがなかったのだ。

  とにかく、弱気な気持のまま、この場所から逃げることはできない。もう少し、いや何かをつかめるまで、いつまでもいつまでもここに留まろうじゃないか。そんなふうに開き直りの気持でいくことに決めた。異質の文化を楽しもうと思ったこと、最初抱いたその気持にだって、外国で暮らす意味がきっとあるのだ。

 ああ、それにしても辛い。ちょっと前に携帯電話を買って興奮していた自分が、本当に能天気な奴に思える。カッコ悪いし情けないけど、これが僕の本当の出発だった。



(つづく)




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