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第17回 ガイジンとして生きるイタリア



 さっきからずっと僕の方を見て運転している。わかったよ、アルドさん。あなたの話はちゃんと聞いてるから。前を向いて運転してくれよ。僕は心のなかでつぶやきながら、それでも笑顔で頷いていた。

その日、トリノ市内の仕入先に品物を取りにいくことになって、そこまでのルートをガレージにいたアルドさんに尋ねたことが始まりだった。それなら私が連れて行ってあげるよ。アルドさんは英語がまったく出来ないので、身振りを交えたイタリア語でゆっくりと言った。ありがとう、アルドさん。でも、自分で行けるから…。と言う僕の声など聞いちゃいないのか、彼はもう助手席のドアを開けて、プレーゴ、プレーゴと繰り返していた。

こうして僕はアルドさんの運転する白のオペル・コルサに乗り込んだ。

いつになく真剣な表情のAldoさん。こういう表情を1日の中で ちょっとだけ見せる。
  アルドさんは僕の取引先の社員だ。50歳をちょっと越えたほどの年齢、でも幾分老けて見える。運転手兼雑用一般を一手に引き受けるような係をしている。一見、融通の利かない気難しそうなタイプに見えるけど、その実、生来の女好きというのか、職場でも若い女の子に始終声をかけたりしているケセラセラな人だ。いつだったかFIAT RICAMBIでばったり出くわしたときも、そこで働くちょっとすました美形のエリザベータに、何やらしきりに言い寄っていた。

それはともかく、運転しているアルドさんは、おそらく車内に無言の時間が流れることがイヤなのだろう、しきりに僕に話しかけてきた。これが少年刑務所、これはつぶれた工場、ここには昔映画館があったよ、これは、あれは、とバスガイドのように説明してくれる。ただそのたびにこちらの反応を伺うように僕の方をじっと見るので、前のクルマに追突するんじゃないかと思ってひやひやさせられる。

でもそれがアルドさんの精一杯のもてなしなんだろうと思う。ゆっくりとしたイタリア語を、それも文章にせず単語で、しかも手でそのものの形を描いたりしてくれる。アルドさんにとっては日常的に接する非欧州圏の人間、それも東洋の日本人なんて僕だけだし、それは過去にもなかったことなので、好奇心半分かもしれないけど僕にはいつも優しかった。

☆☆

左からAldoさん、Katiaさん、Angelaさん。作業中のひとコマ。
  アルドさんに限らず、思い返すと僕はずいぶんイタリアの人によくしてもらってきた。北と南ではイタリア人の気質も大きく異なり、僕らがステレオタイプとして描くイタリア人は大体において南の陽性のそれだから、初めてミラノやトリノを訪れるとちょっと拍子抜けするかもしれない。

北イタリアの人の感情表現はどちらかというとかなり控えめだからだ。僕も最初、イタリア人って結構冷淡なんだと思ったものだ。でも、それは違った。捲られる書物の1ページ、1ページのように積み重ねられていった周囲の人々の静かな優しさに、僕はその後どれだけ助けられたことか。

氷山の氷が少しずつ溶けてゆくように、というとちょっと大げさかもしれないけれど、でも事実そんなふうにして異文化圏の人間は受け入れられていくように思う。実際、アルドさんの勤める会社と取引を始めて、僕がそこで手足を動かして働く人たちと親しく言葉を交わすようになるのには3年ほどの時間が必要だった。

みんなが働く地下の作業場が好きで、僕はなんだかんだと理由をつけては小荷物の梱包などに片隅を使わせてもらっていた。イタリアン・ジョブと揶揄されるのもむべなるかな、時としてイタリア製品の、そしてその出荷体制のコントロールはアバウトの極みだけれど、僕の知る限り、アルドさんやアンジェラおばさん(と僕が勝手に呼んでいる齢50才の婦人)は実によく働く。

彼らがテキパキ動き回るリズムが地下の作業場には満ち満ちていて、作業台の無数の傷もアトランダムに貼り付けられた走り書きのメモも、みんなみんなその日の匂いをまとって呼吸しているようだった。 彼らは決して富裕層でもないし高度な教育を受けてきたわけでもないけれど、年甲斐もなくきれい事を言わせてもらえば、やっぱり人は富やキャリアとして誇る教育の対岸で、まず獲得しなければならない何がしかのものがあるということ、そういうことを改めて思い起こさせてくれる人たちだった。

そんな日々の交わりの中で、僕が知識や想像としてではなく、体重のかかった事実として自分自身の内に沈殿させていったこと、それは日本の父親が昼食代を節約したり、あるいは母親がちょっと縫い目のほころびたTシャツ姿でパートに出たり、というのと全く同じ位相のことが、イタリアでもフツーにあるということ、そういうなんら詩的でもなく、アルマーニ的でもなく、プラダ的でもなく、アルファロメオ的でもない、イタリアの素顔に他ならなかった。

こういう素の生活者の前で、僕はずいぶん戸惑った。彼らが優しければ優しいほど、自分の存在が彼らの毎日の仕事なり生活なりに邪魔になってはいないのか、と。自分などいないと思って振舞ってくれればいいのに、と。旅行者でもなければ定住者でもないフラフラな存在である自分には、結局すっぽりはまる居場所などないのだと思ったりしていた。

☆☆☆

 僕が毎日のように通うトリノのバールに、かつてモロッコ移民のナビル(Nabil)という名の若い男が働いていた。痩せて、背が高くて、鼻筋の通ったなかなかのハンサムで、カウンターの向こうでいつも溌剌と動き回っていた。

彼の目をずっと見ていたことがある。その目は周囲に対して常に注意深く配られていて、どこで何が起こっているか、何が望まれているか、そんな周囲の状況を残さずすくい取ろうとしているかのようだった。それはようやく得たこの仕事を失うまいとする彼の懸命さの顕れのようでもあったし、異国で移民として生きる彼が、イタリア人と同じように受け入れられようとするあまり、ほんの些細なミスをさえも怖れているかのようにも思えた。ナビルのまわりにだけはいつも緊張感があった。

こんな風景が日本の銀行でもかつて見られた。これでもイタリア 随一のSANPAOLO IMI銀行の支店。ATMは1台のみ。
  わかるな、と思った。ナビル、僕には君の気持がよくわかるよ。肌の色の違う外国人として生きるというのはそういうことだよな。

ナビルは自分を主張しようとするのではなく、透明な存在になりたい、と願っていたのかもしれない。ミスなんかして目立ちたくない。イタリア人なら無色透明でそこにいられるように、自分もなんでもなくそこにいたい。おそらくそうやって無我夢中で、使えるだけ気を使って、イタリア社会に身を縮めるようにして溶け込もうとしていたのだろう。

ナビルはイタリア人の優しさを知っただろうか。

僕は自分に対するイタリア人の優しさに触れるたびに、ナビルのあのいつも真剣だった眼差しを思い出す。クルマの前を横切るモロッコ人に、いくばくかの侮蔑の色を込めて「マロッキーノ!」とイタリア人が叫ぶ時、ナビルのあの端正で誠実そうな横顔を思い出す。

ナビルは2年近くそのバールで働いていたけれど、去年の5月を最後に彼の姿をそこで見ることはなくなった。

アルドさんは相変わらず熱心な案内役を演じてくれていた。いきなり自分の薬指の指輪をさして、ポーランド、ポーランドと叫びだした。ポーランド製の指輪? 不可解な人だな、とその時はそう思って、僕は聞き流していた。

後日、社長のロベルトさんにポーランド製の指輪のことを話した。アルドさんはね、自分の指輪はポーランド製だと言ってたけど…。ロベルトさんはちょっと怪訝な表情を見せ、そのあとで急に笑い出した。それは奥さんのことだよ。アルドの奥さんはポーランド人なんだよ。

ケセラセラのアルドさんの、ちょっと奥深いところを見たような気がした。




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