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第18回 旅に出よう

パリ。新オペラ座の前。
月が出ていました。
  夜9時30分を過ぎた頃、飛行機はトリノ・カゼッレエアポートに着陸する。この空港には日本からの直行便はないので、ヨーロッパのどこかの都市でトランジットしなければならない。アムステルダム、フランクフルト、パリ、ローマ、ジュネーブそしてブリュッセル、と経由地はいろいろ選べるけれど、僕がいちばん好むのはパリ経由の旅程だ。

それが一体なぜなのか、別にたいした理由があるわけでもないけれど、基本的に僕はパリが好きだ。イタリアより? もしかしたらそうかもしれない。

ありふれた言い方だけど、パリは僕にとって思い出の地である。

1980年代の終わり、僕がまだ自動車雑誌『NAVI』の編集記者だったころ、オランダからクルマでパリを目指したことがあった。

あの時、なぜ成田からオランダに行ったのか、そしてそこからどうしてパリを目指したのか、いまとなってはよく覚えていないけど、そこで予定されている仕事があったわけではなかったので、おそらく気まぐれにそんな旅程を組んだのだと思う。

片付けなければならない仕事といえば、ドイツのニュルブルクリンクで予定されていた日産のR32GTRのメディア向け試乗会、そしてシュトゥトガルトのポルシェ本社で911カレラ4を借りて、オーストリアのグミュントという田舎町にある、ポルシェゆかりのミュージアムを訪ねる、というそのふたつだった。

そうそう、覚えている方、いらっしゃるでしょうか? 当時、『NAVI』には”TALK IN THE CAR”という連載があって、それは自動車ジャーナリストの岡崎宏司さんと、その回に俎上に乗せるクルマの開発者が車中で対談する、というページだった。僕はその担当編集者として、毎回リアシートでテレコを回し、それを4ページほどの記事にしていた。

その対談をニュルブルクリンクで、日産渾身のR32GTRでやろう、ということだった。

その仕事に間に合うようにニュルブルクリンクに行けばよかった。だから、その前の3,4日ほどを、なんのあてもなくヨーロッパを走りまわっていた(のだと思う)。いや、もしかしたら、その自由気ままな自動車での移動を、気の利いた記事にしろという指示が出ていたのかもしれないけど、そのときのことを僕は一行たりとて書いた記憶がない。

とにかく僕はパリに向った。アムステルダムのAVISでアウディの4ドアセダンを借りて、チューリップ畑の脇を抜け、のんびりとした風車に一瞥をくれ、放牧された怠惰な牛の群れにほのかな憧れを寄せながら、無機質なアウディのステアリングを握って初めてのパリに向った。

☆☆

 『ホテル・ステラ』。星のホテル。もう夜も遅い時間だった。部屋はありますか? Do you have a vacancy for tonight? なんてガチガチの英語で、かたちばかりのレセプションコーナーにいるやる気のなさそうな黒人の男に訊くと、ヤツはそのホテルの小さなロビーの闇を全部吸い取ったような暗い目で、チラッとこちらを値踏みするように見た。一呼吸置いて、ルームキーがカウンターの上にポロリと落とされた。

スーツケースをまともに広げられないほどの狭い部屋だった。小さな窓、そしてそれを覆う厚手の、あれは確かグリーンの格子模様のカーテンで、その向こう側にはシャンゼリゼ大通りからひとつ脇にそれた石畳の舗道。うっすらと濡れたその舗道の上に薄暗い街灯の光がぼんやりとひろがっていた。

パリか、ここがパリなんだ。

詩人ロートレアモンがシュールレアリストたちを唸らせるような言葉の洪水を放った街、パリ。 しっ、静かに。君のそばを葬式の行列が通り過ぎてゆく、と彼が書き残した街、パリ。パリ大学ナンテール分校から燃えあがった1968年五月革命の街、パリ。むせ返るような熱気に包まれたあの時代の、その象徴だった街、パリ。行ってみたかったパリ。あの頃、心底行ってみたかった街、パリ。

そのパリの街並みがその時すぐ目の前に広がっていた。

トリノ。朝8時過ぎには駐車車両で道路はぎっしり。
  なんでこんなところにいるのか、ここで何をしようとしているのか、合理的に説明できる何ものをも持たない旅だったから、窓の外の夜の街を見ている自分自身が、なんだか持ち主のいなくなった漂う浮き輪のようで頼りなかったけど、パリに来たという感慨が身体の奥のほうからふつふつと沸きあがってきて、ひとり舞い上がっていた。

しかも、取材、締め切りに追われる毎日を大胆に切って捨てたそこでの時間は、自分にとってひどく清新なものだった。全部を捨てたわけではもちろんないのに、なんだかそんな錯覚に陥るような妙な感じで、予定、予定で動いていた人間がそれを無くしておぼえる不安感以上に、せいせいしたぜ!とでも叫びたくなるような解放感に包まれていた。部屋は特別に狭かったけど。

何の意味もなくパリにいることが無性に嬉しい。じんわりと嬉しい。その身体の中から沁み出てくるようなワクワクする気持を抑えきれず、その夜はなかなか寝つけなかった。

☆☆☆
 まだこの目で見たことのない国を思うことがある。それは空港でぼんやりと次の便を待っている時だったり、発着ボードにあらわれるいろんな国のいろんな都市の名を眺めている時だったり、気がつくとそんな時に、目の前を行き交う様々な国籍の人々をじっと目で追いながら、遠い遠いどこかを思っている。

人間が定住を選ぶようになったのがおよそ1万数千年前、日本では縄文時代の始まりの頃で、それ以前は移動こそが人間のテーゼだった。定住するということには、氷河期を脱し温暖な気候になったことで、食料を求めての移動の必要がなくなったという生活史的な必然性はあったにせよ、本来、「ここではないどこかへ」の希求は、僕たちの精神世界の深層に抜きがたく息づいているものだと思う。

ヴェネツィア。暮れてゆくアドリア海。
 

遠くに行きたかった。

だからおそらく、だから、そのささやかな疑似体験として、あの日、パリを目指したんだろう。生きる知恵として考えなければならないこと、折り合いをつけなければならないこと、そしてもしかしたら、馴れ合うことさえ必要とされることが、ひとつ、またひとつ、と増えてゆく年齢にさしかかり、僕も遠くに行きたかった。

名所旧跡なんて訪ねなくたっていい。ブランド物を買い漁ることも、まなじりを決して美味しいものを胃袋におさめることも、豪華なホテルも、みんなみんな、なくっていい。行ってみたかった国、歩いてみたかった街、そこに今の自分をポンと置きにいくだけ、それだって、いや、それだからこそ、物見遊山の商品としての旅行を超えて、それは「旅」に違いない。

あの時、何かに引き寄せられるようにパリに向ったこと、それが僕にとっての旅の原初体験だった。

旅に出よう。250円の牛丼を忘れて、住宅ローンを忘れて、リストラの恐怖も忘れて、旅に出よう。今は遠い日々、暖かな毛布の下に、もう少しの勇気をしまいこんでしまった自分を再び連れ出して、そして今度こそ世界を世界の広さで認めるために、旅に出よう。

できたら独りで、いや、絶対に独りで、旅に出よう。





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