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第19回 ロベルトさんと歩いた夜



 トリノの街はヴィットリオ・エマヌエル2世大通りで南北に二分される。その大通りを背に、北に延びるローマ通り(Via Roma)は市内随一の目抜き通りだ。地価も高く、それ相応の店、たとえば日本人御用達のブランドショップなどもいくつか目にすることができる。

これがイタリアのホッチキス。メタル製でメカニカルな趣がある。ちなみに、アルファのロゴは戯れにステッカーチューンを施した もので、非オリジナル。
  近頃では、ミラノでお目当ての品物を手に入れられなかった日本の若い女性たちが、わざわざそれだけのために、ここトリノのローマ通りまでやって来たりしている。執念と揺るぎない自己愛のなせるわざだ。

そのローマ通りから一本東側を、やはり北に延びるのがラグランジ通り(Via Lagrange)。ローマ通りの華やかさとはうって変わって地味な、どちらかというと、ちょっと暗い感じの通りだ。

去年の秋、知人のロベルトさんに誘われて、新しく開店した”パプリカ”という名のリストランテに行った帰り、そのラグランジ通りを歩いた。ロベルトさんは、リストランテで出すコーヒーは美味くない、というのが持論で、食後にわざわざバールに行くことの方が多い。その夜もやはりそうで、それでラグランジ通りを歩いていくことになった。

ラグランジ通りにはVagnino(ヴァニーノ)という大きな文房具屋があって、僕の個人的な感覚では、この通りにはその店一軒、というぐらいなぜか印象に残っている店なのだが、もちろん他にもローマ通りほどではないにしてもポツリポツリと店はある。

余談になるけれど、イタリアの文房具屋は面白い。ホッチキスひとつとっても日本ではお目にかかれない独特な形をしているし、輪ゴムもキャラメル色ではなくて、赤、黄、白と、それも大きな袋に各色混ざってびっしり詰め込まれて売られている。セロテープもなんだか薄い。ガムテープはココア色のやはり薄いのが主流だ。イタリアに行ったら、是非、文房具屋へ。

さて、ロベルトさんと歩いていたその夜、ラグランジ通りの店はもうみんな閉まっていて、歩いている人もほとんどいなかった。コツッ、コツッと靴音だけが響く。世界的にも有名な、それでいて見過ごしてしまうほどに周囲の建物に溶け込んでしまっているエジプト博物館(Museo Egizio)の前を通って、さあ、次の四つ角をサンカルロ広場の方に左、と思ったその時、ロベルトさんが足を止めたのがわかった。

カズ、とロベルトさんの声が後ろから聞こえた。ここで試験を受けたことがあるんだよ、と唐突に彼は言った。

エジプト博物館とまったく同じで、特に他と際立つことのない、イタリアン・バロック様式の建物がそこにあった。トリノ大学だった。ロベルトさんは、北に向いたその建物の2階の東側、いちばん端の窓を指差していた。

☆☆

 1950年代の終わり、ロベルトさんはトリノ大学に入学した。イタリアでは大学の卒業者にはDottore(ドットーレ)の称号を与えるが、これは語感から想起される博士ではなく、日本でいうところの学士である。

日本では学部卒業の学士なんて掃いて捨てるほどいるし、誰も自分を学士だなんて意識さえもしていないけど、大学進学率の低いイタリアでは違う。Dottore=学士にはそれなりの社会的プレステージがある。だから、名刺にもDottoreの肩書きを入れている人がいるし、ロベルトさんの周りにいる人のなかには、彼を名前でではなく、ドットーレ、と呼ぶ人もいる。

その夜、ドットーレ・ロベルトはいつにも増して饒舌だった。

法律を学んだこと、授業も試験も厳格そのものだったこと、そして卒業のときにはトリノ随一の会計事務所、銀行、さらにはかのフィアットからも就職の勧誘があったことなど、ロベルトさんはトリノ大学にまつわる思い出をたくさん話してくれた。

教室の窓を見上げながら、そこに座っていたであろう若き日のロベルトさんのことや、ヴィットリオ・デ・シーカが『自転車泥棒』で描いた世界からようやく脱しつつあった当時のイタリアを、僕は想像していた。

アルプスをおりてくる風のなかには、もう冬の匂いが流れていた。

トリノ大学の校舎の脇から、華麗な天井桟敷のカリニャーノ劇場(Teatro Carignano)、そしてカルロ・アルベルト広場(Piazza Carlo Alberto)へと歩きながら、いつしかロベルトさんの話は彼に大学での教育を与えてくれた父親のことに移っていった。

世界に目を向けろ、というのが、とロベルトさんは言った。それが彼の父親の口癖だったと。12歳の時から働きに出て、終生一度も海を渡って外国を訪れることもなかった父親の残像が、その時、ロベルトさんの瞼の裏側をきっと駆け巡っていたんだろう。肩を並べて歩きながら盗み見たロベルトさんの横顔には、丹念に丹念に記憶をたぐり寄せようとしている様子が見てとれた。目許が穏やかに笑っていて、ああ、いい顔だな、と僕は思った。

ゆき過ぎた歳月の中にいる自分と父親に、きっとその時ロベルトさんは、会いに行っていたに違いない。

☆☆☆

 イタリア第二の工業都市であり、人もクルマもかなりの数に上るのに、トリノの夜は市の中心部でもとても静かである。バロックの建物とその静寂さが生み出す世界は、まるで中世に逆戻りしたかのような錯覚を与えてくる。

ロベルトさんと歩いたその秋の夜も、かすかに流れる風の音のほかは何も聴こえなかった。その静寂さのなか、彼の話が続いた。

結局、卒業後、オファーのあった会社への就職をロベルトさんは選ばなかった。父親の仕事、つまり家業を継いだのである。

七宝エンブレムが出来るまで。これはジャンニーニ のエンブレムで、完成までにこれだけの工程がある。
  1934年に彼の父親が興したちっぽけな会社は、会社というよりは工房であり、そこではクルマのエンブレム製造が行われていた。戦前のアルファロメオをはじめとして、ランチア、フィアット、ピニンファリーナ、ベルトーネ等々、イタリア車が好きな人ならだれもが思い描くことのできるエンブレムのほとんどは、ロベルトさんの父親の工房から自動車会社へ、そしてカロッツェリアへと納められてきた。

なかでも個人的にも親交のあったアバルトとは特に密接な繋がりがあって、家業に入ったばかりのロベルトさんは、初めての愛車フィアット850に納品するエンブレムを積んで、マルケ大通り(Corso Marche)38番地のアバルト本社に通ったそうである。

エンブレムといえば、焼き上げるもの、というほどに、かつてのイタリア車を飾ったそれはそのほとんどが手仕事に頼る七宝焼(smaltato a fuoco)だった。だが、ロベルトさんが仕事を始めた頃には、1車種が大量生産されるようになるクルマと手のかかる七宝焼エンブレムの蜜月関係がすでに終わりを告げようとしていた。少量生産のアバルト、ジャンニーニ、フェラーリ、ランボルギーニなどにかろうじて採用されるに過ぎなくなっていたのだ。

もう、お気に入りのバールも近くになった頃、ロベルトさんはプラスティックに凌駕されてゆくクルマのエンブレムを、父親がどれほど嘆いたか、さっきまでとうって変わって深刻な表情で話していた。プラスティックを拒んだ彼の父親の工房は、それゆえに時代の波に確実に乗り遅れ、仕事の大半を他の近代的な業者に奪われることになってしまった。

世界に目を向けろ、ロベルト、と繰り返し言った父親は、ことエンブレムに関しては世界の趨勢に背を向け、大量生産のための設備をついに導入することなく逝った。それは綺羅星のように輝きながら、やがては漆黒の闇に吸い取られるように消えていった幾多のイタリアン・カロッツェリアと、運命をともにしたとも言えることである。

その夜、そんな話を聞きながら、僕には時としてフィアットを鋭く揶揄するロベルトさんの心情が、なんとなくわかるような気がしていた。フィアットに育てられ、やがてはフィアットに捨て去られた怨念のようなものが、ロベルトさんの気持の中にはいまも消えずに残っているのだろう。

そんなことを考えながら、僕はひとつの光景を思い出していた。

歴代のアバルトエンブレム。トリノの熱き時代。
  1999年7月、フィアット100周年のメインイベントがトリノのリンゴット(フィアットの旧工場跡地)で開催されることになったとき、ロベルトさんの工房は、久しぶりにフィアットから仕事の依頼を受けた。

それはスターリングシルバー製の台座に七宝のフィアットエンブレムを埋め込む記念メダルの製作で、裏にはフィアット会長、G・アニエッリのサインを刻印する、というものだった。

そのメダルが出来上がったとき、ロベルトさんは誇らしげにそれを僕に見せてくれた。美しい化粧箱に収められたそれは手に取るとズシリと重かった。本質的という言葉に忠実な、本質的なメダルだった。

テーブルをはさんで向かいあったロベルトさんにそれを戻す時、そうそう、あの時もロベルトさんの目許はやさしく笑っていた。

それは、ついさっき、カルロ・アルベルト広場で父親の話をしていた時に見せたのと同じ笑顔だった。いいよね、その笑顔。フィアット100年の一端を担った誇り高き自動車人の顔になって、ロベルトさんが笑っていた。




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