イタリア自動車雑貨店
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第21回 窓拭きの少年



 トリノは君にとって第二の故郷だな、と知り合いのイタリア人に言われると、なんだかくすぐったいような、それでいてちょっと複雑な、そんな気持になる。違うんだなあ、分かってないなあ。ここはどうころんだって故郷なんかじゃないんだよ。と口に出しては言わなくても、内心いつもそう思っている。本当はきちんと説明したいのだけど、言葉にしてその微妙なニュアンスを誤解なく伝えることは、僕の語学力ではかなり難しいことのように思える。

VESPA APE P50。ゴミ収集のこの小さなトラックを街の風景の中に置くと、僕のいちばん好きなイタリアが浮かんでくる。
  思い出はたくさんある。そして、それはきっとこれからも増えてゆくことだろう。考えてみれば、自分の家と店、つまり東京以外で時間的にいちばん長く過ごしたのも、いつの間にかトリノという外国の街になってしまった。

いつも泊まっているホテル、日課のように通うバールをはじめとして、いくつかのリストランテ、鞄屋、帽子屋、洋服屋、アイスクリーム屋、タバコ屋、不動産屋、保険屋…、と数え上げればきりがないほど、僕はこのトリノの街で知り合いを持った。

初めてトリノの地を踏んだ時から思えば、それは夢のようなことだけど、でも、やっぱりそれは夢のようなことのままにしておくのがいいと思っている。現実の垣根を越えて、生身の自分の人生をそこに持ち込むには、僕は少し歳をとりすぎたのかもしれないし、知恵もつきすぎたのかもしれない。

Passo dopo passoとよく言われた。それは英語にすればStep by step, つまり“一歩一歩”というほどのことなのだが、ともすれば性急に樹上の実を掴み取ろうとする僕を、イタリアの人はそう言ってよく笑った。焦らなくたって、熟れた実は落ちてくるもんだよ。

そうだよな、と今は思える。今は思えるけど、僕はいつだって、もう後ろのない崖っぷちに立っているような気持だったし、円滑に仕事を進めようとするあまり、イタリア人にとって心地よい外国人であろうとすることに汲々としてしまった。

だから、トリノにいるといつも緊張していた。いつも身構えていた。外国人であることを意識していたし、それを意識させられる場面が1日のうちに何度もあった。魂が休まるということが故郷という場所のひとつの要件であるとすれば、残念ながらトリノは、両手を広げて無条件に僕を抱え込んでくれる土地ではなかった、ということなのだ。

でも、そんなのはあたりまえのこと。イタリア人にとって僕は、基本的には1万キロ彼方からやってきたよそ者なのだ。この単純な事実の前で謙虚になることが、これが結構難しいことではあったけれど……。

僕はトリノが好きだ。単なる思いつきなのか、偶然なのか、確たる理由もなく、ひとことのイタリア語も知らず、ただひとつ『イタリア自動車雑貨店』のちっぽけな構想だけを持ってやってきたこの街が、自分の前にゆっくり、ゆっくりと扉を広げていってくれたこと、それは僕の終生忘れえぬメルクマールになることだろう。

さあ、行こう、夏のトリノに行こう。軌道敷のマッテオッティ大通りの交差点のはるか向こう側に、7月のイタリアの太陽はいつもよりずっとゆっくりと、そして静かに沈んでゆくことだろう。トリノの夕暮れは、いつだって、心に沁みる。

☆☆

 7月のトリノ。

ヴィットリオ・・エマヌエーレ2世通りに左折して入ろうとしているのに、4台ほど前でまた信号が赤に変わってしまった。陽炎が立ち上るほどに暑い。気温34℃。

不意にフロントウィンドウに人影がしたと思うまもなく、ひとりの少年がさっさと仕事を始めた。ああ、やられた。

今の日本では絶対にお目にかかれないことだけど、イタリアではこうして子供たちが働いている。イタリアと言っても、彼らはイタリア人ではなく、東ヨーロッパやアフリカからの移民だ。信号待ちのクルマのドライバーを相手に、ポケットティッシュや100円ライターを売ったり、フロントウィンドウを拭いたりして小銭を稼ぐ。

ついこの前まで中道左派政権だったイタリアは、移民の受け入れには比較的寛大な国だったから、周辺の様々な国からそれぞれに事情を抱えた人々が、この国を目指してやってきた。モロッコからの移民はイタリア語が上手だ。彼らはモロッコにいるときから海を隔ててイタリアのテレビやラジオに慣れ親しんでいるので、言葉の面では比較的早くこの国に適応する。だからなのか、移民の中でもモロッコ人の評判は比較的いい方だ。移民には徹頭徹尾冷淡な知り合いのロレンツォさんでさえも、ちょっとは認めているようなことを言う。彼らは働くからね。でも、東ヨーロッパから来る連中はダメだよ、あいつらははなっから働く気なんてないんだ。イタリアが何かしてくれると思っている。

雨の中、バスを待つモロッコ系移民の男。これもイタリアの風景。
  ロレンツォさんの言葉を待つまでもなく、いくら移民に寛大であると言っても、それは、受け入れが、という注釈が付くのであって、イタリア入国後の生活がなんらかの形で保証されているのかと言えば、そんなことはまったくない。合法的な移民として入国した彼らも、不法滞在している人間も、その点では同じだ。この国で生きていくことの一切は、自分の才覚にかかっている。

単なる物乞いとして生きていく人間もいる。どこで仕入れたのかと思うような怪しげなサングラスやらスカーフやらを、路上に並べて売る人間もいる。あるいは観光客から金品を奪ったりする犯罪を“正業”とする人間もいる。いずれにしても、イタリアという国を目指したとき、おそらく彼らが抱いたであろう希望とはかけ離れた地点で、彼らの多くが生きているのが実情だ。

それにしても、と僕は思う。今、まさに僕の乗るイプシロンのフロントウィンドウを一心不乱に拭き上げる褐色の肌の少年の、この真剣な働きぶりはどうだろうか。T字型のその窓拭き専用器具は、片側に水を含ませるスポンジ、そしてもう片側に水を拭い去るゴムがヘラ状になって付いているのだが、それを器用に操って信号が青に変わるまでの間にきっちりとした仕事をする。

アウトストラーダから一般道に出た最初の信号は、夥しい数の虫の死骸をこびり付けたクルマが多くて商売には一等地だから、そういう場所のほとんどは古参の移民や大人たちの縄張りになってしまっている。だから窓拭きの少年の多くは市中にいる。7月の猛烈な暑さにボーッと間抜けな顔をして信号待ちをしている日本人は、ちょろい客だと思われたんだろう。有無を言わせず仕事を始めて、ニコッと笑顔なんか見せたりしている。

ああ、信号が変わる、と思った瞬間、ぴったりと彼の仕事は終わった。窓越しに渡した1000リラ札(約55円)を素早くポケットに押し込んで、Grazie!と踵を返す。 その11、2歳の少年はクルマの間を縫うようにして通り抜け、中央分離帯の彼の立位置に戻っていった。

☆☆☆

 いつもイタリアに来るときには、長い飛行時間をやり過ごすために文庫本を何冊か持ってくることにしている。もちろん、それは飛行機の中だけではなく、空港での待ち時間にも、ほとんどの商店が閉まってしまうイタリアの日曜日の長い午後を過ごすのにも、僕にはなくてはならないものだ。

早朝の新聞売り。ドライバー相手の商売だ。 トリノの地元紙、LA STAMPAを売る。
 

今回も5冊の文庫本を持ってきた。その中の一冊に朝日文庫の『昭和の東京 あのころの街と風俗』というのがある。戦前、戦中、そして戦後の何年間かを元警視庁のカメラマンが撮った写真を中心にして綴ったものだ。戦前、戦中はともかくとしても、もう人生の折り返し点を過ぎた自分には、戦後の何年間かを撮った写真が妙に懐かしい。

自分が直接目にしたり経験したりしたものでなくても、時代のつながりとして、遠い記憶の中にある自分の子供の頃と重なるものがいくつかある。京橋の青果市場、浅草の人混み、縁側に並んだ粗末な服を着た子供たち。ああ、そうだったな、こんなだった、こんな子供がたくさんいた。

すべてのものは通り過ぎ、過ぎ去ったものはすべて美しく転化されてゆくけれど、僕にも確かに、貧しいといえばあまりにも貧しく、無邪気と言えばあまりにも無邪気だったそんな時代への、言葉を換えれば、闇雲に這い上がろうとしていた日本のある時代への、抜き去りがたい懐かしさや共感がある。

それをノスタルジーと言ってしまえば、確かにそうだ。いまさら何も生みはしない。でも、薄汚れたランニングシャツ1枚で、倦むことなくセミを追えた夏の日が、今でも僕自身にとっては、いつまでもとっておきたい夏だ。教材費や給食費の納入袋を差し出すときに、なぜだか母親の顔を見たくなかった小学校の頃の、あの生活というものが音を立てて自分の前にあった時代の空気が、ああ、あれがもしかしたら“学校”だったんだと、今、老いた母親と話したりするときに、ふと思ったりもする。

イタリア? それは長靴の国で、ピノキオの国で、少し大きくなった頃には、日独伊三国同盟の国で、ムッソリーニなんていう男がいた。たったそれだけ。アルファロメオもフェラーリ知らず、ましてや、自分が将来、人生の何分の一かをそこで過ごすことになろうとは想像すらしなかった国だ。

その国で今、僕はもうどこかにいってしまった日本を見ているような気がする。1000リラ札をポケットにねじこんだ窓拭きの少年は、かつてのあなたや僕に違いないのだ。

イタリアの、ある種、重層的に絡み合った暗黙の了解の内にある階級制度は、ときにやりきれないほどに息苦しくもあるけれど、でもその隙間に目をこらせば、たとえば、アルファロメオという甘美な名を持つクルマが、かつてイタリアの人々のどんな気持を背負っていたのか、そういうことにも想像力が及ぶ。大きな通りから1歩裏道に入っていけば、本屋には並んでいない一冊の書物が落ちているかもしれないのだ。

旅の素晴らしさはいつだって、旅程表の外側にある。そこにころがっていると思う。





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