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第26回 12月の出来事、そしてイタリアに寄せて



 これだけイタリアに来てれば、なんだって起こりうるさ。ロベルトさんはそう言って慰めてくれたけど、まあねえ、そうなんだろうけど、よりによって、イタリアでこんな目に遭うとは……。

こんな目にとは、食中毒、である。食中毒にかかってしまった。

12月第1週の木曜日の夜、僕はクリスマスのイルミネーションが眩いほどに美しいトリノの街を、ホテルに向って歩いていた。食事をどうしようか、というのは、夜ひとりで歩いているときにいつも直面する面倒な問題である。というのも、僕は基本的にイタリア料理が好きではないのだ。イタリアのクルマを好もしく思おうが、それに関する仕事をしていようが、そんなこととはまったく関係なく、イタリア料理が苦手である。トマトが嫌いで、チーズが嫌いなのだから、これではイタリアの食生活に対する適応性がはなっからないのも同然だ。

だからといって和食、和食で暮らしているわけではもちろんない。だいたいトリノで和食といってもまともな店は1軒しかないし、その1軒である『WASABI』だって、ちょっと遠いし、1人ではちょっとという店なのでたまに行く程度だ。でも、行くとやっぱり嬉しい。天つゆで天婦羅を食べるイタリア人を尻目に、日本の庶民的定食屋の伝統に則り、僕はきちんと醤油をかけて食べては日本人に生まれた幸せを噛みしめたりしている。

12月のトリノの夜景。夜空のイルミネーションがとても美しい。テーマは星。星に願いを。
  もう1軒は『MR.HU』。トリノの人はこれを「ミスター・ウー」と発音するのだけど、ここは中華料理屋である。チャーハンは美味い。でも、チャーハンだけというわけにもいかないので、他のものも注文するが、だいたいがイマイチの味である。特に天婦羅は食べるとバリバリ音がする。なんでこんなにバリバリしているのか。口の粘膜に刺さりそうで結構食べるのに気を遣うし、音がね、うるさいぞ、中国人。

では、僕はイタリアで一体何を食べているのか。実を言うと、僕のイタリアでの食生活の友は、バナナ、なのである。スーパーマーケットに行ってバナナを買っておいて、これで何日かをしのいだりしている。なんか遭難でもしたような感じだけど、でも、これで今まで元気に生きてこられた。ただ、それにしても毎日というわけにもいかない。猿になったような気にもなってくるだろうし、だいたい、もうバナナなんか見たくもない、というふうになるのが恐ろしい。バナナ、好きだから。

それで件の12月第1週の木曜日の夜、あいにくバナナの買い置きがなかったのである。でも、なんか食べなきゃなあ、と考えながらホテルに向っているときに、何度か入ったことのあるピッツェリアの看板が目に入ってきた。ああ、ピザでもいいや。早く食べて、早く帰ろう。

こんばんは。ひとりですけど。どうぞ、どうぞ、このテーブルでいかがですか? ああ、いいですよ。

イタリアの夕食にはちょっと早い時間だったので、店内はまださほど混んでいなかった。案内されたテーブルの隣では、7、8歳の男の子とその父親とおぼしき二人連れが静かに食事をしていた。

  姿勢を正した父親となんかちょっと遠慮がちな男の子。その子が可愛かった。時折父親の様子を上目遣いでチラチラ見ている。その仕草がなんとも可愛い。いいなあ、君の人生にはまだまだいろんな選択肢が残されているんだ。何年かしたら、君の前には父親の代わりに、美しい少女が座っていて、君はその娘の目をじっと見つめたりしていることだろう。

父親がスパゲッティ・ヴォンゴレを食べていた。僕が好む数少ないイタリア料理のひとつだ。急に気が変わった。あれを頼もう。

これで運命が決まった。

☆☆

 ガス入りの水、スパゲティ・ヴォンゴレ、それから魚介類のサラダ。ピッツェリアに入ったのに、僕が頼んだのはピザではなく、魚づくしの料理になった。トマトとチーズの味から遠いものを注文するのは鉄則だし、塩味系のものは食も進む。

ヴォンゴレにはアサリ、サラダにはタコ、イカ、ホタテ、ムール貝、酢漬けの小魚なんかが入っていた。味はもう全然フツー。ああ、美味しいなあ、なんていうものではなかった。ムール貝は嫌いなので、全部よけた。ついでに魚介類を全部よければよかったのだけれど、魚介類のサラダを注文しておいて、魚介類を全部よけるやつなんていない。最後にアイスクリームを頼んで、ああ、これで食事も終わったと、なんかひと仕事終えたような解放感に包まれながら、ホテルに帰った。

これを撮っていたとき、既に食中毒の悪夢が徐々に……だったのか。列車の車内。きれいそうに見えるけど、実際は汚い。
  翌朝、7時50分発のミラノ行きの列車に乗るために、10分あれば着く駅に向ってホテルを7時ぴったりに出た。切符売り場に長蛇の列が出来ていたり、運悪く前に並んだ婦人が切符を買うのにあーでもないこーでもないと、信じられないほどに時間がかかる、なんていう不測の事態は、イタリアでは不測でもなんでもないので、早すぎるくらいに出るにこしたことはないからである

しかし、その朝、切符はあっけないほどにスムースに買えて、列車も定刻ぴったりにトリノ、ポルタ・ヌオーヴァ駅を後にした。

車内で文庫本を読んでいるうちにウトウト、気がつくともう2時間近くが経っていて、ミラノ中央駅がすぐそこというところまで列車は来ていた。中央駅手前のスラム街というのか、トタン葺きのバラックが寄せ集まった一画が目に入ってくる。やる気のなさそうな煙が幾筋か上がっている。朝食を作ってるのだろうか、それとも、暖房なのだろうか。イタリアのザラザラとした手触りの現実が、朝の冷たい空気の中に見える。

僕は立ち上がってキャメル色のマフラーを首に掛け、濃紺のコートに腕を通した。列車がゆっくりと、長い長いミラノ中央駅に入ってゆく。そしてなんとなく列車は停まる。日本のように到着を知らせる車内アナウンスがあるわけではないので、ほんとに、なんとなく列車は到着する。高さのある2段のステップに注意してホームに降り立ち、通勤客の足早な流れに合流する。改札口のあたりには、バックパッカーや旅行者の姿が目につく。いろんな国の、いろんな肌の色の、いろんな事情を抱えた人々。ミラノ中央駅の雑然とした、いつもの雰囲気だ。

2階にあるプラットホームから1階に降りて、地下鉄の2番線乗り場に急いだ。1500リラの切符を買って、検札機に突っ込み、あのなんとも暗く不健康そうな地下鉄のホームに立った。

その時だった。

その時、急激に下腹部が痛んだ。猛烈な、刺すような痛み。一挙に冷や汗が出てくる。自分の身体に何が起こったのかまったく理解できず、とにかく座りたい一心でベンチを探したけど、あいにく目につくところにはなかった。コートのポケットに手を入れて、その手で下腹部を押さえた。

  ホームに電車が入ってきた。座れるかもしれないと思って乗り込んではみたものの、車内は満員でそんな淡い期待は見事に消し飛んだ。かんべんしてくれよ、なんだよこの痛みは。ああ、トイレに行きたい。ああ、トイレに行きたいから、降りなきゃ。乗らなきゃよかった。目的の駅まであと2つ。そこまでなんとか我慢して、トイレに駆け込もう。

そんなことを、もう考えるのも必死という感じで考えていた(ように思う)。身体を少し折り曲げるようにしてドアにもたれ掛かり、もっと、もっとスピードを上げてくれ、と念じた。頼むからもっと飛ばせ! トイレに急げぇーッ!

小銭でいいですから、少し恵んでください。小銭で……。 コカコーラの大きな空の紙コップをかざした小さな女の子が、母親に背中を押されながら地下鉄の車内を縫うように歩いてゆく。ああ、イタリア。お腹が痛い。

☆☆☆

 奇跡的に清潔なトイレの入り口(というか出口か)にはおじさんが座っていて、まあ、心づけ程度の小銭を置いていくのだけれど、結局、僕は3回、しかも1回につき1000リラという大盤振る舞いをした。出たり入ったり1時間はそこにいたと思うし、当面の危機を脱することのできた御礼だと思えば、もうこれは断然安い。

トイレの中でも、断続的に強烈な腹痛は襲ってきたし、状況はなんら好転しなかったけれど、そこで初めてこの事態を冷静に分析することができた。前日の夜に食べたヴォンゴレと魚介類のサラダを、ありありと思い浮かべることができたのだ。犯人はあのピザ屋だ。ああ、バナナがあったら、バナナがあったら、あんなとこには行かなかったのに……。いや、あの居ずまい正しいどこかの父親が、スパゲティ・ヴォンゴレなんか食べていなければ……。

この時期の名物、霧。写真ではわかりづらいですが、朝7時半、信号が見えないくらいの濃い霧です。
  さて、これからどうするか。せっかくここまで来たんだから、訪問先にキャンセルの電話を入れるのも癪なので、というよりこの駅のトイレまで我慢してきたということは、キャンセルするつもりなどなかったので、相変わらずコートのポケットの中の手で下腹部を押さえながら、よろよろ訪ねて行った。要件、つまり僕の要件とは常に商品の仕入れなのだが、それもなんだか上の空という感じでそそくさと済ませ、結局そこでも2回トイレを借りた。トイレを借りることのほうが重要案件だった。

さあ、とにかく帰ろう。ホテルに帰ればなんとかなるだろう。と、ちょっと痛みも小康状態という感じだったので、また地下鉄に乗りミラノ中央駅に向かい、そこでトリノ行きの列車に乗り込んだ。

  しかし、今思うと、この列車の中が最大の山場だったのだ。気を失いそうになるほどの痛みが襲ってきた。骨折したときより痛い。そしてまたトイレへの駆け込み。シートで痛みにうんうん唸り、トイレで下腹部を押さえて蹲る、この繰り返しを2時間やっていた。トリノに着いた時には夢遊病者状態で、タクシー乗り場まで瀕死の負傷兵のようにヨロヨロ歩いていった。

  そして――。

申し訳ないけど……。病院のベッドに横たわる僕の顔を覗き込むように、医者が言った。ズボンとパンツを下ろしてくれませんか。ええっ!食中毒の治療だろ、これは。なのに、なぜパンツなんか下ろすんだ、しかもイタリアで。と、一瞬思ったけれど、観念した。症状を説明しろと言われたときに、自分で言ったから、出血もしたと。

医者の指が肛門に入ってきて、なんだかぐるぐるかき回しているような感触が、痛みの間を縫って伝わってくる。ああ、なんでこんな目に、なんでイタリアで、ああ、ああ、情けない……。痛い、痛い、心も痛い。

呆然と横たわる僕の顔を、また医者が覗きこみ、厳かに言った。ノープロブレム! トイレでいきみすぎてまわりの血管が切れただけだ。腸が出血しているわけじゃない。単なる食中毒、よくあることだ。ノープロブレム、ノープロブレム!指示する薬をきちんと飲むように。

全身をこわばらせていた力がふっと抜け、いっぺんに楽になった。良かった、これで治るんだ。意識的なのか、彼がことさら強い調子で繰り返す「ノープロブレム」が、僕には最良の治療のように思えるのだった。

2001年、僕にとってのイタリアはこんなふうに七転八倒に終わってしまった。食中毒のニュースは、瞬く間にイタリアの知人たちの知るところとなり、見舞いの電話をたくさんもらうことになった。みんなイタリア人らしく興味しんしん根掘り葉掘り訊き、僕も忠実に事の顛末を説明した。パンツを下ろし、肛門に指を突っ込まれたことは除いて。

来年はどんな年になるだろうか。今、イタリアは来年1月1日からのユーロ通貨導入を控えて、人々の間にはつかみどころのない不安のようなものが漂っているように思える。最後のリラ通貨がやり取りされるクリスマス商戦も、心なしか盛り上がりに欠けるようで、でも、いや、だからなのか、夜空に華やかなイルミネーションだけがひときわ目にしみる。

ゼロがたくさん並ぶイタリアの通貨制度が一変されることによって、イタリアという国に存在する瑣末さを切り捨てるような鷹揚さが、みんなの心の中からいっしょになくなっていってしまうような、そんな怖れがいま僕の中にはある。彼らの鷹揚さには、初めてイタリアに来た当時、とても戸惑ったものだったけど、その一方で、生きていくということは、帳簿をつけるようにはいかないものだという、そんなあたりまえの座標軸をあらためて僕の内に運んでくる、あたたかいものでもあった。

愛すべきイタリアとイタリアの人々にとって、そして、あまつさえアメリカ覇権主義によって虐げられる世界の人々にとって、2002年が幸福なそれとなることを祈る。




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