イタリア自動車雑貨店
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第29回 春の風が運んでくるよ



 コピーを切り貼った、たしかランチア・ストラトスのイラスト入りのレターヘッドを作って、そこに書けるだけのことは全部書いた。もう何年も前の3月のことだ。

こういう動機で、こういうお店を、東京で開くつもりです。イタリアからクルマにまつわるいろんなものを輸入しようと考えています。

捨てられずに今も名刺入れの中にあるロッシさんが書いてくれたメモ。 ロッシさんの部屋の様子もヴォルヴェラの大きな空も、このメモの向こう側 に封印してとってある。
  と、簡単に言ってしまえばそれだけのことだけど、簡単に言ってたまるか、みたいな気負いがあったから、いろんなことをあーでもない、こーでもないと書き連ねた。ムキになっちゃってて、今じゃ恥ずかしくて、それが具体的にどんなことだったのかは、ちょっと言えないな。

とにかく、そのレターヘッドを持って、ジョバンニ・アニエッリ大通り(Corso Giovanni Agnelli)200番地のフィアット本社に向かった。デカイなあ、というのが第一印象。イタリア語が全くわからなかったから、ゲートの横にいる守衛のところで手間取って、レセプションのシニョーラに「パスポートを」と言われてドキドキした。ビジター用の名札のようなものを胸につけさせられた。

そうして案内されたところは、フィアットの極東地区担当のディレクター、アルマンド・ロッシさんの部屋で、そこでとっておきの例のレターヘッドを差し出した。

ふむ、ふむ、という感じで、ロッシさんは文面に目を落とし、彼の胸元をその時飾っていた上品なドットタイに相応しいジェントルな声で、言った。

それなら、ヴォルヴェラに行ったほうがいい。

そう言うとすぐに、手元のメモ用紙で簡単な紹介状(のようなもの)を作ってくれて、それからもう1枚、ヴォルヴェラの守衛のところで面倒なことが起こらないようにと、僕の用件をイタリア語で書いたメモを渡してくれた。ヴォルヴェラというトリノ郊外の場所にフィアット・リカンビ、つまりフィアットのパーツセンターの本部があったのだ。

タクシーで行けばすぐ近くだから、というロッシさんの言葉から、僕はほんとうに「近く」を思い描いていたのだけど、実際は結構遠かった。有料道路ではなかったけど、道幅の広いハイウェイのような道を走っていったほどだから。

到着してみると、ヴォルヴェラのフィアット・リカンビは、それ以外何もない広大なインダストリアル・エリアだった。帰りのタクシーをどうしよう。キョロキョロしながら、着いたそうそうにそんな心配をしていた。

守衛室を見つけ、そこでロッシさんのメモを手渡した。守衛はすぐに電話機を手に取り、そこで二言三言何か言うと、僕の方を振り返って同じように二言三言何か言った。何を言われたのかまったくわからなかったけれど、まあ、なんとなく、ここで待っていろぐらいのことなんだろうと想像して、そのまま守衛室の横に立っていた。3月の風はまだじゅうぶんに冷たかった。鞄を開けて確認した。レターヘッドはまだ残っている。大丈夫だ。

数分後、30代後半くらいの年恰好の男がこちらに向かって歩いてくるのが見えた。きっと、あの人だろう、と思ったその人が、やっぱり僕がこれから会うべき人だった。その人は僕の前まで来ると、ガッシリとした腕を差し出した。僕も慌てて自分の手を出した。ギュッと力強い握手だった。そしてニッコリと微笑むと、イタリア語ではなく、流暢な英語を僕に投げかけた。

ロッシさんから話は聞いてます。

ああ、電話をしてくれていたんだ、ロッシさんは。なんだかそこで、ホッとした。自分の目的と自分のとっている行動がようやく重なり合ったように思えた。

☆☆

 守衛室まで来てくれたその人は、ニッコリーニさんといった。通された応接室に、ニッコリーニさんはもうひとり、40代くらいの女性を伴って現れた。ステファニア・キーニさんという、イタリア訛の極度に強い、とてもゆっくりとした英語を話す人だった。

センターテーブルをはさんで、座面の低いソファに腰を下ろして話をした。いや、正確に言うと、まず、ストラトスのレターヘッドをふたりにそれぞれ手渡した。彼らがそれを読んでいる間、僕は手を膝の上に置いてかしこまっていた。やっぱりドキドキしていた。

本文には関係ないけど、ロベルトさんの会社に新しく入ったフランコさん。元はペンキ職人。今、同じ職場になった妻のアンジェラさんにいろいろ教わりながら、研修中。アンジェラさんより、仕事は確実にのろい。
  ニッコリーニさんが先にレターヘッドから目を上げ、それから少ししてキーニさんが顔を上げた。ストラトスのことが何か話題になるかなとちょっと期待していたのに、まったくならなかった。そのかわりキーニさんが2冊の厚い、まるで書籍のようなカタログを僕の前に差し出した。アルファロメオやフィアットのアクセサリーのカタログだった。初めて見る純正アクセサリーのカタログだった。

フィアットの懐中時計が載っていた。アルファロメオの、ブラックのステーショナリーが目に飛び込んできた。それは、僕が構想していた店の、まさに基軸になるべき品物の数々だった。ああ、やっぱりこういうものが存在したんだ。ようやくそれにたどり着いたんだ。椅子から跳び上がりたくなるほどの喜びが、その時、身体中を四方八方走り回っていた。嬉しかった、ほんとに嬉しかった。

その時はまだ僕の背後に具体的な形を持った店はなかった。僕の心にだけキラキラ輝く店があった。その心の中の店が、その時、カタログのページをめくるごとに、心躍る品物の数々でいっぱいになっていった。イタリアにやって来て、落胆ばかりで何もいいことなんてなかったから、ダメ元で押しかけたフィアットでとうとう自分の望むものに巡り会えたことが、大袈裟なようだけど、僕にはまさに奇跡のように思えた。

それから具体的な話が始まった。こういうものを日本に輸入したい。ミニマムの数量は。輸送業者は。決済の方法は。なんて細かなことを、そのほかにもいろいろ訊いて、彼らふたりはその問いのひとつひとつに丹念に答えてくれた。訊くべきことは全部メモに用意してあったので、僕は順を追ってそれを読み上げていたようなものだ。さあ、これで必要なことは全部確認したな、とホッしていると、最後にニッコリーニさんが、その名の通りの柔和な、優しい目元をした表情で、言った。

いちばん大切なことですが、この話の前提は日本の“フィアットアンドアルファロメオモータース・ジャパン”が、私たちとあなたの取引にOKを出すことです。

舞い上がっていた気持が一挙にしぼんでしまった。最初から言ってくれよ。ここまでやって来たのに、なんでまた日本でそんなことをしなければならないのか。こんなことなら初めから日本で話を進めれば良かったのか……。

と性急な僕は、その時、自分をことさらガッカリさせるような結論を自ら導き出そうとしていた。だけど、これは今だから言えることだけど、決してそんなに落ち込むようなことではなかったのだ。何もなかったところに、少なくとも、遠くを見渡せる望遠鏡はセット出来た、ということ、ピントがずれててぼんやりしてたけど、それでも焦点を遠くに向け始めた、その最初の一歩には違いなかったのだから。

☆☆☆

 僕が今ここに書いているのは、みんな、ああ、そんなこともあったっけ、というお話だ。でも、こうやって、「そんなこともあったっけ」を記憶の底から手繰り寄せていると、思い出っていうのはいいな、とつくづく思う。自分の望みを叶えるために、そこにどんな種類の困難があって、どんなことに怒って、何に悔しい思いをしたかなんて、今じゃみんなみんな忘れてしまったから、きっとたいしたことなんてひとつもなかったんだろう。楽しかったことや、嬉しかったことばっかり、それしか覚えていない。

ニッコリーニさんに、日本でOKを取れと言われた件だって、もちろん僕の思い通りに事は運ばなかったけれど、その先にはまた別の、思いもしなかった展開が待っていた。歩きつづけていれば道は幾筋にもひろがり、心の中にだけあった店が、その先で小さく、やっと現実の姿形を整えようとしていた。

こうして生まれた『イタリア自動車雑貨店』、開店当初はイタリアの雰囲気を醸し出そうと考えて、アレッシのキッチン用品やパスタ類まで置いたりしていた。それを近所のおばさん連中が買いに来てくれたりしていたのだけど、開店した月のある1日、パスタしか売れなかったことがあった。スパゲッティが何袋かだけ……。あの時は落ち込んだなあ。こんなもの売るためにやってるんじゃないだろうって、自分を呪うというのか、なんというのか、辛いといえば、あの日がいちばん辛かった。

街角に立つ花屋。トリノにはきちんとした店舗を持った花屋はほとんどない。みんなそれぞれに決まった場所があり、そこにクルマいっぱいに積んだ花を 持ってきて店を開く。花を買う人がたくさんいる。
  そうそう、自動車雑誌『NAVI』時代の同僚で、今、このホームページに原稿を寄せてくれている自動車ジャーナリストの森慶太は、開店当時、よく買い物に来てくれていた。当時、彼は半分フリーになりかけの頃で、なぜだか透明のビニール袋になけなしの原稿料を入れてやって来ては、たいして欲しそうでもないものをヘンテコリンな理由をつけて買っていった。心配してくれていたんだろうけど、財布も持たずビニール袋からお金を出していた彼のほんとの懐具合だって、一体どんなだったんだろうか。

そんなこんなのひとつひとつが、時間の川の中で磨かれ、少し丸く柔らかになって今自分自身の内に残る。時間は何かを解決したり溶かしたりしてくれるのではなくて、その何かが心の中に収まりやすいように形を変えてくれるのだ。懐かしい小学校時代のアルバムを眺める自分の内側からは、一年中怒っていた先生が、いつかほんの一瞬優しかったその時に見せた、暖かだった横顔だけが甦ってきたりするように。


ギュッと力強い握手を残してくれたニッコリーニさんは、その日から2年後、短い闘病生活の末に遠い世界に旅立っていった。四谷の片隅の、あまりにも稚拙だった店の中に並んでいたキッチン用品もパスタも、今はもうその影すらない。完全に独り立ちした森慶太は財布を持ち、だけど今じゃ何も買い物をしなくなった。そして、僕ひとりだった店の中には、今はそれぞれに個性豊かな4人の仲間がいる。いろんなことが新しく生まれ、つまり、いろんなことがそうであるべきように変わった。変わらないのは、相変わらず失敗続きの毎日を過ごしていること、それだけが変わらない。

4月。春がやってきた。出発の、あるいは、再出発の季節だ。出発の日は雨が良い、ともう何十年も前に書き残した女性は、しっとりと湿り気を含んだ土に、最初の1歩を踏みしめる、そんなイメージをその言葉に託したのだろうか。それとも、雨の日の内省的な静けさこそを、新しい世界の扉を開ける道連れに選んだのだろうか。

振り返って出発の日が何よりも清新なのは、そこには常に、新しい世界への謙虚さがあったからに違いない。今の自分ははたしてそれを持ちつづけているか。春はいつだって、そんな問いかけも運んでくる。




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