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第36回  さらば、ジョヴァンニ・アニエッリ



2003年1月25日の新聞。イタリアは喪に服す、というタイトルに始まって、全26ページがジョヴァンニ・アニエッリで埋まった。

若き日のジョヴァンニと妻マレッラ。貴族的な甘い生活は終生続いた。葬儀の日のマレッラの目は、何も見ていなかった。
 2月。北風のトリノ。カゼッレ空港からホテルに向かうタクシーの中で、頭の中に入れてある滞在中の予定を何度か反芻した。銀行に行く日、取引先を訪問する日、長距離の移動がある日、と数え上げていくと、正味15日間の滞在期間中休みなんてほとんどない。フゥーっと、大きなため息が口をついて出る。

  ここ2、3年、体力の衰えをはっきりと自覚するようになってから、イタリア―日本の往復がかなり辛い。イタリア滞在中の眠りの浅さ、そのツケがどっと出る帰国してからの決して短くない何日間か……、ああ、数年前まではここまで酷くはなかったけど。

 そんなため息と一緒に、タクシーの窓の向こうの、埃っぽい茶色の街並をボーっと眺めていた。1速で2000回転ほど、でも2速でグーンと引っ張って、レブリミットいっぱいまで回転を上げる若いタクシー・ドライバーの運転が、自分の身体が予測するリズムと微妙に違っていて居心地が悪い。それから音。このフィアット・ブラーバのCピラー辺りの内装から間断なく発せられるカタカタという決して小さくない音が、ただでさえぼんやりした思考に割って入ってきて邪魔をする。

  おびただしい2重駐車、間口の狭い電気店の店先で空気を見ているような表情の老人、開け放ったアパートの窓から、どこか遠くを凝視している肥満した中年の婦人、いつものイタリアの表情がいつもと同じようにそこにあった。

 ホテルに着いてチェックインを済ませたとき、ロビーのテーブルに置かれた新聞の文字が目に入った。“水曜日は偶数番号、木曜日は奇数番号”。雨が降らないとイタリアではよくやるのだけど、大気汚染低減のためといって車両の運行制限がある。つまり、ナンバープレートの下一桁の数字の偶数奇数によって、ある週の特定の日の車両使用を制限するのだ。

  新聞によると、次の週の水曜日と木曜日それが実施されるということで、そうすると朝8時から夕方の6時までは偶数あるいは奇数のナンバープレートのクルマしか走れなくなる。一般に流布されているイタリアの“いいかげんな国民性”からはちょっと想像がつかないけど、こういうことはきっちりやる。

 そんなことやってもやらなくても大差ないだろう、と悪態のひとつもつきたくなるのは、この「制度」が不便きわまりないからだ。しかも、実施の基準が降雨があったかどうかという他力本願的なものだからよけいに腹が立つ。それに駐車違反と同じく摘発も厳しい。妊婦は例外だというのだけど、そんなものどうやって証明するのだろうか。チョット太ってれば、そりゃ年齢というものもあるけれど、女性ならみんな妊婦だと言い張れるじゃないか。

  あーあ、という気持で新聞から目を上げて、翌週の予定を記憶の中から手繰り寄せた。自分のクルマのナンバープレートの下一桁は偶数、そうすると水曜日はクルマを使えない。水曜日は、え〜と……と考えて、その日が1日トリノにいる日だということがわかった。1日中歩きか、と思うとまた大きなため息が出た。


☆☆

ジョヴァンニと愛息エドアルド。エドアルドは2000年11月、アウトストラーダの高架上から飛び降りて、自ら命を絶った。
 これはね、“フィアットのアニエッリ”が死んだということじゃないんだよ。レストランのテーブルに両肘をのせて、ロベルトさんはその言葉が届いたかどうかを確認するかのように僕の目をじっと見た。目の前に広げられたトリノの地元紙『LA STAMPA』は、ほぼ全ページをジョヴァンニ・アニエッリの死を伝えることに割かれている。ああ、わかるな、なんとなくわかるよ。トリノの人々にとって、戦後イタリア経済を牽引してきたジョヴァンニ・アニエッリの死は、トリノのある部分の欠落にほかならないのだ。

 今回イタリアに来る前、1月25日の新聞でジョヴァンニ・アニエッリの死を知ったとき、一瞬息が詰まるような驚きとともに、前の年の秋にリンゴットの旧フィアット社屋の屋上から眺めたトリノの街並が、静かに目の前にひろがった。

  かつて、アニエッリ自身がこの屋上のテストコースから何度も見ただろうトリノの街。小高い丘に抱かれ、ポー川に寄り添うようにあるトリノの街。碁盤の目のように整然と区画された、オレンジ色の屋根の連なるトリノの街。そして、僕自身のほんとにちっぽけな、取るに足らない歓びや失意が詰まったトリノの街。そうして、やっぱりアニエッリは死んだんだ、と改めて自分に言いきかせてみると、そこにひとことでは説明しきれない感情が覆いかぶさってくるのだった。あえて言えば、アニエッリの死そのものよりも、アニエッリを失ったトリノの街を思って悲しかった。

 Fabbrica Italiana Automobili Torino (FIAT=トリノ・イタリア自動車製造会社)のTの文字にこそ、かつてのイタリアの首都トリノの誇りと矜持を込めたアニエッリ家を、トリノの人々は愛した。いや、それは愛憎半ばする感情と言ったほうが正確だろうか。トリノの経済的発展の中心に常に存在し続けたアニエッリ家に対する畏怖。そしてそれと背中合わせに、人々が持たざるをえなかった富める者に対する密やかな侮蔑。曰く、「ほら、あの貴族的な生活はフィアット労働者からの搾取の賜物なのさ」「どんなに金があったって、エドアルド(ジョヴァンニの息子)だって自殺した。不幸な家庭だよ」というように。

 思えばフィアットの経営危機の深刻化に歩調を合わせるように、トリノの街の景色もすこしずつ変容してきた。2002年トリノショーの中止は、かつての自動車の聖地の凋落を何よりも印象づけたし、出展者数,入場者数ともに惨憺たるものに終わった部品ショー“TORINO AUTOMOTOR”、フィアット直営の自動車アクセサリーショップの閉鎖、街なかの自動車修理工場の相次ぐ廃業、と自動車をキーワードにトリノを見ると、もう終わり、という様相を呈している。

  それは時代の流れといえば確かにそうで、自動車界の覇権は、もうとうの昔に、甘くロマンチックで、ちょっぴり人生の機微をさえ感じさせるイタリア車から、強固で精緻なクオリティー・カーとしてのドイツ車やその傀儡へと移ってしまっていたのだ。

 そんな客観的事実を次から次へと突きつけられる中でのジョヴァンニ・アニエッリの死は、象徴的といえばあまりにも象徴的、ドラスティックな出来事だった。プロセッコをぐっと飲み干して、ロベルトさんは、自分にもいろんな思いがあるけれど、と言った。いろんな思いがあるけれど、いままでトリノをもりたててきたのはアニエッリ家だから……。と言って、そこで言葉を切った。僕は促すように、だから?と訊いた。 だからね、トリノの人間は不安なんだ。フィアットがどうのということじゃなくて、トリノのこれからが不安なんだよ。


☆☆☆

アンジェラさん(中央)の家で。右が夫のフランコさん。左が職場の同僚のアンジェリカ。
 水曜日。僕は律儀に歩いていた。道行くクルマのナンバープレーの下一桁がちゃんと奇数なのかどうなのか、偶数のクルマが走ってるんじゃないのか、そんなことが気になってそればかりに注意を払っていた。下一桁偶数のクルマが結構走っていて、そのたびに僕は運転している人が妊婦なのかどうなのか、つまり男か女かなんてことをチェックしていたけど、実際、男が運転しているクルマばかりを見た。あとで聞いたら企業の所有する社有車は走れるんだとか言っていた。なんだかなあ、ザル法だよなあ、と不満いっぱいである。

 ちょうど新聞と雑誌を売るスタンドの前を通りかかったとき、雪を抱いたアルプスを表紙にした雑誌が目に入った。それを見た瞬間に、僕はあの5000mにも届かんとする鋭鋒モンブランを思った。パリからトリノに向かう飛行機の中から眺めたあの雄大なモンブランの姿を。しかも、飛行機の中から、その純白のモンブランに動く2つの黒い点を、僕はその時見たのだった。まちがいなく、それは人間だった。2人の人間がモンブランに挑む姿だった。

 それは、心を洗われた、と表現したり、感動した、と言ったりすると、ぜんぶ嘘になってしまうような、圧倒的な光景だった。山に挑むという行為があれほど神々しいものであり、それは同時に人間の本来的な存在の意味を雄弁に物語るものだということを、僕はその時初めて知った。登山と人生を結びつけて語るような、そんなインチキ臭いことはするべきじゃないな。常套句に満ちた処世訓なんて、マニュアルの教える笑顔となんら変わらないから。美しかったなあ。僕がそこに見たものは、ただただ美しく、鋼のように張り詰めた厳然とした孤独だった。

 トリノの街を歩いている。今なお警戒の厳しいユダヤ教の教会のそばを歩けば、トリノに住みこの教会に通うユダヤ人を思う。彼らの腕には今も収容所で刻まれた数字の入れ墨――それが彼らの“名前”だった――が残る。アニエッリも通ったMADONNA DELLA CONSOLATA教会を通り過ぎれば、きょうもトリノの人々が、自らの苦悩からの救いを求めて祈る姿を想像する。アニエッリは何を祈ったか。

  そして、いま、淀んだ瞳でタバコ屋の前にたむろする、イタリアに新天地を求めて渡ってきた移民たちはどうだろうか。殺伐とした埃っぽい日常は、彼らの心に果てしない砂漠をひろげているのではないだろうか。 アンジェラさん、あなたはどうだったか。サルディーニャから出てきて30余年、アニエッリのトリノはあなたに優しかっただろうか。彼女は夜通し延々6時間も並んで、リンゴットに安置されたアニエッリの棺の前に跪いた。

 戦後イタリア復興の立役者であったジョヴァンニ・アニエッリこそが、誇り高きトリノのアニエッリだった。彼を失ってトリノはさらにどんな変容を見せていくのだろうか。色あせたフィアットの看板は新しいそれに取って代わるのかもしれないけど、そこに現れるものはもはやFabbrica Italiana Automobili Torinoと謳いあげられたフィアットでもなく、アニエッリ家の野心やトリノの人々の希望や憤怒が込められたフィアットでもないだろう。

  でも、それがアニエッリ亡き後の新しいトリノの時代の幕開けなのだ。そして少なくとも僕は、新しいフィアットにはもちろん、いまもなおトリノに本拠を置くカロッツェリアたちに、イタリアのクルマへの夢を持ち続けたい。生きていくことが、モンブランに見た鋼のような孤独を引き受けていくことだとしたら、僕は時には立ち止まって、イタリアのクルマに甘えてみたい。





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