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第39回  ●ストラトスに会った夜



ベルトーネからのストラトス30周年式典を知らせるレターヘッド。親愛なる友へ、で
始まる案内状はとても美しい。
 水曜日の夜にストラトス30周年の集まりがあるから行ってくるといいよ。そうロベルトさんに教えられて、会場のムゼオ(トリノ自動車博物館)に行った。ベルトーネとランチア・クラブ、そして自動車書籍出版社NADAによる共催だという。9月の最後の週、いつもの年よりも格段に暑いトリノの夕刻は、まだ昼間のような明るさだった。

 NADAはつい先ごろ《LANCIA STRATOS 30 ANNI DOPO.》という本を出版したばかりだったので、なんとなく商売がらみのイベントのような気もした。でも、日頃、ランチア・クラブにはいろいろ便宜をはかってもらっていたし、知り合いの誰かに会えるかもしれないという期待もあったから、その日、僕は梱包や発送の仕事を早めに切り上げて、リンゴットをまわって会場のムゼオに向かった。

 それにしても、と考えていた。なんでムゼオなんかでやるんだろう。トリノの自動車博物館はいつ行っても寂れていて、自動車の世紀を華麗に彩ったイタリア車の熱気なんて、少しも感じることができない。年代順にただ並べられただけのかつての名車が、重い川の流れの中に沈殿しているかのような、そんな精気のなさばかりを感じてしまう。あんなところでストラトス30周年を祝うのか……。

 ムゼオの駐車場はすでにいっぱいだった。ダメだったら表の通りに停めなきゃなあ、とそろそろ走っていると、かろうじて1台ぎりぎりのスペースを見つけた。ちょっとだけ幸せな気分になる。1日なんて、こういう幸運がいくつあるかで、全然違ってくるものね。イタリア人なら誰もが自然に、暗黙のうちに了解しているイタリア社会の規範の、僕はいつだってその外側にいる人間だから、自分の目に見えたり、心に感じられたりすることの上にしか、物事を積み重ねてゆくことができない。うれしいとか、悲しいとか、飾りのないそんなまっさらな感情に、だからここにいるといつも子供の頃のように忠実になる。

 クルマからカメラだけを持ってムゼオの入り口に向かう。1階の書籍やキーホルダーを売るコーナーの近くにはまったく人がいなかったので、2階に上がってみる。階段のすぐ近くのバールで0.3ユーロのガス入りの水を飲んで、そこであたりをうかがっていると、ずっと奥の方で談笑しているひとかたまりの集団が見えた。みんな仕事場からそのまま駆けつけたような格好で、華やかなパーティという趣では全然ない。

 037ラリーのレストアで知られる、元アバルト・メカニックのヴォルタさんの顔が見える。目が合うと、お茶目なウィンクをひとつ。1年中同じものを着ているのか、今日もいつもと変わらぬ細かな柄のセーター姿だ、暑いのに。いや、シャツのときもあったのかもしれないけど、つまるところ何を着ていても、なぜか全部同じに見えるのがヴォルタさんなのだ。

 NADA の若き二代目ステファノが、黒いスーツ姿でやって来て、流暢な英語で話しかけてくる。2002-2003年のフェラーリF1の技術解説書はもう手にいれたかい?なんて言って、ニッコリと笑う。 彼はとても商売熱心だ。でも、その笑顔の向こう側にチラチラ見え隠れするものはなんだろう。彼に会うといつもそれが気になる。君は本当にクルマが好きなのか。時にそんな質問を、意地悪く口に出してみたい衝動に駆られる。

 開場まであと10分ほど。チャオ、チャオ、ベーネ、ベーネの声がいたるところで沸きあがっている。だいたい150人くらいは集まっただろうか。若い人より年配の参加者の方が断然多い。女性が全体の3分の1くらいというのも、日本のこの種のイベントとは大きく違うところだ。ホールを見渡してみると、片隅にアリタリア・カラーのワークス・ストラトスが1台展示されていた。でも、みんなお話に夢中で、その夜の主賓をさして気にも留めていない様子だ。ストラトスの丸いヘッドライトが、そんな光景を前にして、なんだかびっくりして見開いた目のように僕には見えた。


☆☆

会場風景。まるでシンポジウムのよう。ただストラトスを語る。
ロベルトさん、危ないよ。さっきから何度もそう口に出したくなるのを、じっとこらえていた。友人のフルバットさんの娘が設計に関わった建物の竣工式があるということで、一緒に出かけた日のヴィットリオ・エマヌエル大通り、ロベルトさんの運転は僕の右足に途中何度も力をこめさせた。

 ヘタになったと思う。初めて会った8年前はもとより、ここ2、3年のこととして考えても、ロベルトさんの運転は確実にヘタになった。まわりが見えなくなったというのか、独善的になったというのか、機転と素早い状況判断、そしてほんの少しの無鉄砲さも要求されるイタリアの道路上で、彼の運転は一呼吸も二呼吸もテンポがずれたものになっている。自分でもきっと少しは自覚しているんだろう。一緒に出かけるときは、彼の大型のアウディA6ではなく、しきりに僕の小さなクルマで行こうと言う。61歳というのはそういう歳なんだろうか。

 思えば、2002年の8月に奥さんのエリザベッタさんが脳腫瘍の手術を受けたあたりから、僕は時としてロベルトさんの老いを現実のものとして感じることがあった。術後の決して短くはない療養生活に付き添い、直近の記憶が何も残らないという後遺症を抱えたエリザベッタさんとの生活に翻弄され、ロベルトさんはその頃、いつ会ってもイライラしているように見えた。

 仕事上の会合も、大学時代の友人たちとの月1回の夕食会も、ロンキベルディ・スポーツクラブでのテニス・トーナメントも、そして何よりも熱狂的に愛したユベントスのホームゲームも、その頃のロベルトさんはみんなキャンセルしなければならなかった。20分前に電話をかけたことが記憶に残らず、何度も電話を繰り返して寄こす妻を爆発したように怒鳴り散らしていたこともあったけど、それでもそんな彼女をひとり家に残していることは、どんな理由をもってしてもできないことだったろう。そして、そんな状況に疲れきって肩を落としたロベルトさんの姿には、はっきりと老いの訪れがあった。

 妻の病気という特別な事情を抱え、否応なしに外の世界との接触が少なくなるにしたがって、ロベルトさんは自分が周囲から置いていかれているような気持になっていたんだろう。そんな焦りが彼をことさら頑固にしていった。新しいものへの拒否反応がにわかに強まり、コンピュータから生み出される自動車のデザインを罵り、自筆サインのないEメールを蔑んだ。エネルギッシュに自分の会社の陣頭指揮を執っているときには決して見せなかった心の隙に、老いが狡猾にするっと入り込んで居ついてしまったかのようだった。

 ロベルトと顔を突き合わせているとすごいストレスだよ、と一緒に仕事をしている従兄弟のロレンツォさんは言う。あの調子が悪くて、使いものにならないウィンドウズ95のマシンの入れ替えを、絶対に認めないんだよ。そしてまたアンジェラさんも言う。オリジナルじゃないエンブレムをオリジナルだって言い張って、それを大切なお客さんに渡してしまったのよ。

 う〜ん、そうか、と思う。僕はふたりの話を聞きながら、ただ、う〜ん、そうか、と思うしかない。歳を取ったね、ロベルトさん。そして、あの憔悴して肩を落とした姿に重ねて、8年前を思い出しては、ただひたすらに懐かしい。まるで子供に噛んで含んで言い聞かせるように、イタリアでの仕事の進め方に始まり、見落としてしまいそうな小道も、霧のアウトストラーダも、心洗われる教会も、上着の丈の5mmにこだわる洋服屋も、喉に沁み入るグラッパの美味しさも、そして、人は世界のどこにいても、同じように生き、かつ生きようとしていることも、みんなみんなロベルトさんが教えてくれたことだと、僕はただただ懐かしく思い出すしかなかった。


☆☆☆

リッリ・ベルトーネ。70歳以上とはとても思えない。エレガントで妖艶で。写真は少 しボケてます。
 ストラトス30周年の式典は、ムゼオの中にあるコンベンション・ホールのようなところで始まった。会場には黄色のストラトスを俯瞰した大きなフォト・パネルが1枚。ほかにはこの式典がストラトス30周年を祝うものであることを知らせるなにものもなかった。拍子抜けしたと言えばまさにその通りで、これからここで何が始まるのか、僕は人の少ない最後列に近いシートに腰を下ろして式典の始まりを待っていた。

 まもなくして、壇上にワークス・ストラトスのドライバーだったサンドロ・ムナーリが現れ、それに続いて《STRATOS 30ANNI .DOPO.》の著者アンドレア・クラーミ、それから故ベルトーネの夫人で現在のベルトーネを率いるリッリ・ベルトーネが並んだ。司会の席にはランチア・クラブの会長、ジョルジョ・フォルミーニ。

 みなさん、今夜はようこそおいでくださいました。と司会者の声で始まったその夜の集まりは、アンドレア・クラーミの長い長い一人語りのあとも、ただただストラトスに関わった人たちの、同じように長い長い思い出話の連続に終始した。そこで語られる話のすべてを理解する語学力が自分にないのは残念だったけど、それがあったにせよ、その時点で僕はだらだらと続く昔話にかなり退屈してきていた。そしてそれはおそらく僕ひとりだけでは決してなかったはずだ。

 そんな会場の雰囲気が一変したのは、ストラトスの製造に関わったという、ひとりの老メカニックの話が始まってしばらく経った頃だった。彼は「1969年の10月24日」と言って、それからしばらく無言だった。会場をゆっくりと見渡し、それから続けた。ランチアはフィアットの庇護の下に入りました。

 僕にはその老メカニックの言葉の細部をすべて正確に捉えられたか、そんな自信はまったくない。ただ、彼が言っていたことはわかる。フィアット傘下に入った直後の、ストラトス開発当時のランチアのゼネラル・マネージャー、ウーゴ・ゴッバートの情熱がなければ、そしてその熱意に動かされたフィアットの総帥、故ジョバンニ・アニエッリの決断がなければ、「この502台の栄光のランチア」は決して生まれ得なかった、ということを淡々と、一語一語ゆっくりと、虚空を見つめるような目で、語りかけるように言葉を紡ぎ出していた。

 質素で、素っ気ない会場は、その時、まるで教会のようだった。老メカニックの語りかけは続き、それに聞き入る誰もが、30年前のその時代を、それぞれに手繰り寄せている。リッリ・ベルトーネは泣いていた。そして老メカニックは最後に、なんの抑揚もつけず、それまでと同じ調子でGrazie Gobbato, Grazie Agnelli, Grazie Bertone, Grazie Stratos.、と言って、その話を終わらせた。

 ストラトスの生まれ故郷で開かれた記念式典としては、悲しいほどにショボくて、居眠りを誘うほどに平板で、なおかつ、それだからこそ心に残る。そうそう、この夜の最後に付け足しのように挨拶に立ったムゼオの館長は、ここが2005年いっぱいで閉鎖されることを明らかにした。笑っちゃうぜ。自動車の灯がどんどん消えてゆくトリノ。いや、こんな死んだような自動車博物館なんてそもそも要らないんだよ。歴史を繋ぐのはいつだって生きている人間で、だとしたらそれは、たとえばあの老メカニックの語りかけに勝るものはないだろう。

 来年、2004年、ロベルトさん率いる小さなエンブレム工房も、創業70周年を迎える。トリノの自動車の世界の70年だ。ロベルトさん、ここに来てれば良かったよ、と僕はゆっくりと椅子から腰を上げた。もうすでにホールのほうでは賑やかなお喋りが始まっていた。

 その夜、会場で配られた《STRATOS 30 ANNI.DOPO.》に、僕はリッリ・ベルトーネのサインをもらうことができた。写真も一緒に撮ってもらった。なんだかすがすがしくて、とてもいい気持だった。お喋りの花の咲くホールを横切るとき、びっくりしたような目のアリタリア・ストラトスがチラッと目に入った。向き直ってじっくり見た。30年後の今も、ストラトスのカタチはこの先を向いている。すごいな、と思った。





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