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第25回 カフェ・スペチアーレのバール



 9月半ばの月曜日から閉まっていたエンツォさんのバールのことは、遅めのバカンスにでも出かけてるんだろうと誰もが思っていた。8月もずっとやってたからね。そう言って、知り合いのロベルトさんも特に気にとめるふうでもなかった。きっとギリシャにでも行ってるんだよ、今なら8月よりもずっと安いから。

マダマ・クリスティーナ通りの市場。雑貨屋はほんとに雑貨屋で、驚異的な品揃えを誇る。
  でも結局、9月の終わり近くになってもぴしりと閉められたシャッターは開くことがなく、僕はその月の滞在中一度も、“エンツォのバール”のあの濃厚なエスプレッソを飲むことなく日本に帰った。

そして、10月。サンパオロ・イミ銀行に現金を引き出しに行った帰り、ふと、エンツォさんの店に行ってみようと思い立った。銀行を出て、アフリカ系移民の捨て鉢な嘆きが埃のように積もったアンセルモ通りの空気の中を、僕は胸ポケットの現金を気にしながらいつものように早足で歩いた。

季節はずれの間の抜けた南風が吹き、路上に投げ捨てられた無数の紙屑が力なく舞っている。そして、あそこにも、ここにも、飼主が始末しなかった犬の糞が点在する。

この空気を、この澱んだ空気を、なんと形容したらいいだろうか、と僕は考えていた。絶望、とは違う。絶望に至る起点には、たとえどれほどのものであろうと希望があったはずだけど、ここにそのかけらを探そうとしても、そんな語彙の存在さえをも疑ってしまう気持になるのがオチだ。今ここで風に舞う紙屑の伝える無力感のようなものが、ただ幾重にも幾重にも折り重なっているように思えるのだった。だから、この通りを歩くといつも、肩のあたりが重くなる。

市場のいちばん端に店を構える花屋。高価な花はないけれど、花束だって見事にアレンジする。
  やがて、生鮮食料品の匂いが漂うマダマ・クリスティーナ通りに出る。エンツォさんのバールまであと5分ほどだ。日曜日を除く毎日、大きな市が立つこの通りは、アンセルモ通りとは雰囲気も変わって、食料品や日用品を求める人々で賑やかだ。

モードの国、イタリアらしからぬ、日本で言えば○○洋品店などという店先にあるような、見られる予感も期待もまったくなくしてしまった婦人用の、存在感豊かなショーツなんかが山盛になって売られてもいる。

その隣では、インチキくさいサングラスが、”FASHION!”なんていう手書きのボードの下に並んでいる。そんな生活の匂いを撒き散らしたような店がいくつもいくつも軒を連ねる。でも、アンセルモ通りを抜けてきた目には、そういう光景が、寒風の中で出会った焚き火のようにも思えて、なんだか嬉しい。

いちばん端に店を構える、気難しそうな花屋が並べた鉢植えを、何人かの婦人たちがひとつひとつ仔細に眺めていた。マダマ・クリスティーナ通りには花を売る人がいて、花を買う人がいる。ただそれだけのことだけど、それはやっぱり、ただそれだけのことだけど、ああ、いいな、と思う。

 そうだった。僕はいつもそんな余韻を胸に、この花屋のすぐ先にあるエンツォさんのバールに、数え切れないほど通ったものだった。フィレンツェからトリノにやって来たエンツォさんと奥さんのマルゲリータさんが、春夏秋冬さまざまな花の香りがほのかに漂うこの一角にバールを開いたのは、今から6年前のことだった。

☆☆

 ロベルトさんの工房の片隅のデスクを借りてパソコンに向っていると、さあ、始めるからこっちに、と声がかかった。アンジェラさんが中心になって、ワインやお菓子を作業台の上に並べている。誕生日なんだよ。とロベルトさんが僕の脇に来て言った。アンジェラの50回目の誕生日なんだよ。

5月にも同じようにこの作業台の前で、ここに勤めるマリアグラツィアさんの誕生日を祝ったことを思い出した。お昼の休憩に入る前の20分ほどで簡単なお祝いをするのだけれど、ロベルトさんをいれても7人ほどの小さな会社ならではの、アットホームなお誕生日会である。ワインもお菓子も祝われる本人が用意するところが、日本のそれとちょっと違っていておもしろい。

ここで働くようになって、これが35回目の誕生日です。もう、ずいぶん長くなって……。ちょっぴり頬を染めたようにも見えるアンジェラさん。このエンブレム工房の中心的な働き手で、イタリアのクルマのエンブレムの生き字引でもある彼女の言葉に、みんなが拍手を送った。

手短な挨拶だったけど、アンジェラさんはずっとニコニコしていてほんとに嬉しそうだった。35年か……、と僕は思う。

作業台の前でのバースデー・パーティ。黄色のポロシャツがアンジェラさん。
  アンジェラさんはサルディーニャ島の出身で、つまり、15歳の時にロベルトさんの父親が経営していたこの自動車用のエンブレム製造会社で働くようになった。先に住み込みの家政婦としてロベルトさんの家で働いていた姉のマリアさんが、仕事のないサルディーニャから彼女を呼び寄せたのだった。

アンジェラはまだほんの子供で、何も知らなくて、最初の1年くらいは使い走りと掃除しかできることがなかった。その日の昼食、一緒に連れ立ったロベルトさんは、懐かしそうに昔話を僕に聞かせた。色黒で目だけがくりくりしていて、今じゃ信じられないだろうけど、すごい人見知りだったんだよ……。

それから数日後、ロベルトさんの工房で働くみんなとトリノ郊外のピエモンテ料理のレストランに夕食に出かけた。僕の隣には愛しのアンジェリカ、そしてその隣にアンジェラさんが座った。もともとイタリア料理がそれほど好きではない僕にとって、一段と癖の強いピエモンテの郷土料理は問題外の味だったけど、賑やかに喋りまくるイタリアの友人たちを見ているだけで十分に楽しい夜だった。

周りのみんながそれぞれ勝手な話題で盛り上がり始めた頃を見はからって、アンジェリカの肩越しに僕は訊いてみた。アンジェラさん、サルディーニャから出てきた頃ね、アルファロメオって知ってたの?

ノー!
と彼女は目を丸くして言った。じゃあ、フェラーリは?
ノー!

それは予想通りの答えだった。とりたてて産業もない貧しいサルディーニャの、しかも子だくさんの家に生まれた彼女が、イタリアにはアルファロメオがありフェラーリがあることを知らなくても何の不思議もないことだった。そして実はイタリアでは、そういう人のほうが圧倒的に多数である。クルマはぜんぶ“マッキナ”、それだけなのだ。

それでも、そんな彼女の手を一度は通過したエンブレムが、あの甘美な数多のイタリア車を飾ったことを思うと、なんだかこの国の古いネオリアリズムの映画を見ているような気にさえなって、僕はひとり勝手に感慨に耽っていた。

そして、この底抜けに明るくて、勤勉で、噂話が好きで、好奇心いっぱいのアンジェラさんのトリノでの35年が、ペンキ職人の実直な夫と彼女似のハンサムな息子、それに加えて南イタリアのバッリの近くに小さな別荘までをもたらしたことを考えると、その一方で、誰にも一言のことばも残さずに、忽然とトリノから消えてしまったエンツォさん夫妻を思わずにいられなかった。

銀行の帰りに立ち寄ったエンツォさんのバールは、なんとなく予想していた通り、やはり閉まったままだった。

☆☆☆

 昼の12時15分。シャッターには何の貼り紙もなかった。店を開けているときには、いつだってランチの客で溢れていたこの昼時の時間が、ついこの前までこの店を盛り立てるように存在していたのに、今はその時間さえもがこの場所を飛び越えて、どこか遠くに行ってしまったかのように思えた。もう、誰ひとりとしてここで立ち止まらない。店先を歩くひとりひとりの意識の中からも、既にこのバールは抜け落ちているようだった。シャッターが建物の壁のように見える。

シャッターの降りたエンツォさんのバール。かつて、昼時には入りきれなかった人がここに並んでいた。
  僕はいくつもの光景を思い出すことができる。フィレンツェ生まれのエンツォさんが、セリエA、フィオレンティーナを熱烈に贔屓にしていたために、ユベントスのファンが多いここトリノで、いや彼の店で、始終客と口論まがいの論戦が演じられていたこと。生クリームの上にカカオの粉をまぶす大胆な手つきの一方で、そのあとにはいつも丹念すぎるほどにカウンターを拭っていた色白の、あの頑丈そうな右腕。太い首もとに斜めに曲がってつけられていた律儀な蝶ネクタイ、豊満なお腹に押されてボタンがちぎれ飛びそうだったエンジ色のベスト。鼻先にずり落ちてくる大きなメガネ。いつもきっちりと化粧をしていた彼の妻、マルゲリータさん。そして、ぴしりと下ろされたシャッターの向こう側で、嬉しさを抑えきれずに、それでもそれを見破られないように、何年か前の僕がボソボソと話している。エンツォさん、とうとうクルマ、買ったよ。ランチア・イプシロン、買ったよ……。

僕はそのままマダマ・クリスティーナ通りを引き返して、市場を通り過ぎ、それまでに1、2回入ったことのあるバールでエスプレッソを飲んだ。それから、ホテルまでの道をゆっくり歩いて帰った。

たぶんそれは金の問題なんだと思う。そんな噂が流れているんだよ。ロベルトさんは、シャッターはまだ閉まったままだった、という僕の言葉を受けて静かに言った。家賃がずっと滞納されていて、家主がとうとう追い出したって話だから。

異物を飲み込もうとするかのようで、スッとは入ってこない言葉だった。店はあんなに繁盛していたのに、という僕に、ロベルトさんは何も答えず、ただ肩をすくめるだけだった。それは、もうこれは終わった話だからと、どことなくこの話題を避けているかのように僕には思えた。トリノで5本の指に入る、とエンツォさんの店を僕に紹介したロベルトさんの、それがエンツォさんに対する友情だったのかもしれない。

街は生きていて、あの死んだようなアンセルモ通りでさえ生きていて、だからそこにあるものは日々微少な変化を積み重ねてゆく。変わらないものなどなにもない。それでも、エンツォさんのバールの6年間は、僕が恐る恐るトリノにやって来てからの6年間とぴったりとオーバーラップし、お金の払い方も解らずまごまごしていた頃から、歩き疲れた身体にいつも優しかったエンツォさん自慢のカフェ・スペチアーレ――エスプレッソに生クリームとアイスクリームを落としたもの――に馴染んだ僕には、なんか古い友人を理由もわからずなくしたのと同じように思えるのだった。

ロベルトさんと話をした帰り、もう一度エンツォさんのバールの前を通っていった。なんとなく横目でチラッとだけ見て、そのまま市場の方に進んだ。花屋の前にはその日も何人かの婦人たちがいて、主人も相変わらず不機嫌そうだった。くわえタバコの果物屋はもう店じまいの準備に忙しそうで、雑貨屋のテントの下では吊るされたブラジャーが裸電球の光をまとって揺れていた。

もうすぐ冬が来る。焼き栗屋のクルマが街角に現れて、キラキラ輝くクリスマス・イルミネーションがトリノの街に華やかな彩りを添えるだろう。それは去年とまったく同じ光景で、でもその同じ光景の下に、エンツォさんのバールの灯りだけがともらない。自分のトリノの一部が欠けたような、ジグゾーパズルのひとかけらをなくしてしまったような、そんな座りの悪い思いを胸に、マダマ・クリスティーナ通りをぼんやり歩いていた。




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