イタリア自動車雑貨店
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第43回  ●モンカリエッリの白い家




『LA STAMPA』紙に掲載されたルカ・モンテゼモロのメッセージ。「すべての熱狂的なイタリア愛国者に捧げる」と大時代的なタイトルで始まる。GMとの破談を経て、FIATはイタリアだけでやっていくぞ、という高らかな宣言だけど……。
  寒いのはいつものこととはいえ、今年のトリノの2月から3月にかけては寒波襲来の字句どおり、まさに「襲われた」と形容するのこそがふさわしい寒さだった。日中も午前中は氷点下、夜はいったいどれくらいだったのだろうか。モンブランをなぶるように降りてくる風は、積雪の冷気をまんべんなくすくい取って、トリノの街を凍え上がらせていた。

イタリアで人々がいちばん買い物に出てくる土曜日の賑わいもいまひとつだった。足を止めてウィンドウに見入る姿が、このショッピングデイを彩っていたものだけど、こう寒いと立ち止まってもいられない。2月恒例のバーゲン期間中も、商店の売上は軒並み前年を下回ったという。でも、これは何も寒波のせいだけではない。ユーロ圏共通の問題、ユーロ高が、じわりじわりとボディブローのように経済を疲弊させているのだ。

輸出が振るわない。ということで国内の製造業を中心に景気が減速していく。勤労者の所得増は望めず、消費が鈍化する。簡単な図式である。しかも、それに追い討ちをかけるように、ユーロ通貨導入以来の物価上昇である。モノの値段は衣料品、レストランなどを中心に目が飛び出るほどに上がった。たとえばピザ。リラ時代に5000リラ程度で食べられたマルゲリータが現在5ユーロする。1ユーロは約2000リラ。つまり本来2.5ユーロでしかるべきはずのマルゲリータが、倍の5ユーロになっているのだ。

ユーロ導入の際、それはどこの国でもそうだったけど、きっと端数の切り上げによる便乗値上げがあるだろうと予想されていた。でもそれは、厳密に旧通貨との変換レートを適用してたとえば9.6ユーロになるものを、10ユーロに切り上げてしまう、そんな程度の予想だった。確かに最初はそうだった。マルゲリータもユーロ導入と同時にいきなり5ユーロになったわけではない。だが1ユーロ硬貨以下の補助硬貨が、日常生活のなかでの使用頻度が圧倒的に少なくなるにつれ、人々の意識は1000リラ=1ユーロのように幻惑されていったのだろう。気がつくとマルゲリータは5ユーロ(約700円)もするものになってしまったのだ。

日本人の感覚からすればそれでも安い。でも、給料が違う。ここトリノでの30歳代の勤労者の平均月収は税込で1000〜1200ユーロ(約14〜17万円)である。給料だけは旧通貨リラとの変換レート(1ユーロ=1936.27リラ)が厳密に適用されているのである。これで暴動が起きないのも不思議だけど、ピザが高すぎるという大規模なデモがあったとは聞いた。イタリア人らしい。

アンジェリカは言う。私の給料は1000ユーロ。でもこれじゃ生活していけないから、この前直談判したのよ。だけど原材料費が上がってて、とても給料を上げる余裕はないって……。彼女はロベルトさんが経営するエンブレム工房の対外的な窓口の役割を担っている。他に秘書的な仕事もあって、僕などから見ればいくらなんでも1000ユーロはないだろう、とは思う。しかもそれはここ3,4年不変だ。いや、もっとかもしれない。確かリラ時代に月200万リラだったのだから、今と同じだ。

そんなふうに鬱積した不満が誰の胸の中にも川底に積もる澱のようにしてある。富める者とそうでない者との格差が以前にも増してひろがるイタリア。リラ時代にこの国の側面を特徴づけていた鷹揚さは、1ユーロ硬貨を基準にあらゆる価値を推し量る経済とそれに歩調を合わせざるをえない人々の眼差しの前では、小学校時代のアルバムに漂う懐かしさのようにしか思い出せない。

寒風吹きすさぶヴィットリオ広場に、投げ捨てられたLA STAMPAが舞う。GMとの別れを告げるルカ・モンテゼモロの一面打ち抜きの意見広告は、FIATの独自路線を高らかに謳う。だがそれを信じる者など何処にもいない。ALFA ROMEOとMASERATIの新たな縁組でさえ、丸ごと売りやすくするため、という以外に誰も理由を見つけられないでいる。


☆☆

モンカリエッリの坂道。ここから始まる急勾配の坂道の頂上に、広場と教会がある。トリノの中心街とは違う時間が流れている。

  禁煙である。イタリアは今どこもかしこも禁煙になった。ホテルのロビー、バール、レストラン、あらゆる店という店、みんな禁煙になった。タバコを売ってる『タバッキ』の中も禁煙になった。街中そこかしこ“VIETATO FUMARE”の看板のオンパレードである。列車の喫煙席もなくなった。

駐車違反の取締りに始まって、指定時間内の街の中心部への車両乗り入れ禁止、月1回日曜日のSENZA AUTO (NO CAR DAY)、月2回水曜日と木曜日に実施されるナンバープレート末尾の偶数、奇数による車両運行規制と、トリノはイタリア的ないい加減さなど感じさせないほどキッチリやる。もちろんそれはトリノだけではないはずだ。禁煙法はイタリア全土に適用だから、もうこの国では路上を除く個人的な空間でしか喫煙は許されなくなったのである。吸った人間だけでなく、その店も罰金を取られるから、みんな守っている。

初めてイタリアに来たときに、空港の禁煙のボードのその下で、誰もが平然とタバコを吸ってる姿をみて驚いたことがある。洋服屋や宝石店などでも、ほとんどの店が灰皿を置いているのにもびっくりした。喫煙者である僕にはありがたいことだったけど、今年からのこのドラスティックな変貌ぶりにはまた驚かされた。やるときにはやる、のがイタリアなのだ。

やがてイタリアに限らず、世界はどんどんタバコを追いやっていくだろうし、国家がタバコを許していたなんていうことが、とんでもない蛮行のように語られる時もそう遠くない日にやってくるだろう。タバコが麻薬や覚醒剤と同じ位相で捉えられる日だってきっとくる。

なのになのか、だからなのか、それは自分でもよくわからないけれど、最近トリノにある古い1軒の高級『タバッキ』に魅入られている。今日も20分ほどそこのショーウィンドーの前に立ち尽くしていた。そこにはいわゆる高級品といわれるライターのコレクションがある。そしてそれらが神々しいまでのライティングに照らされてディスプレイされている。手に持った時の重量感を想像する。蓋を開けたときの硬質な音を想ってみる。650ユーロかぁ、とため息が出る。

イタリアは特段名高いライターを作った国ではないけれど、こんなふうにディスプレイさせると美的センスの格の違いを見せつける。命がけでタバコを吸うなら、これで火をつけてみろ、とは言ってないけど、そう言わんばかりに美しい正々堂々のディスプレイなのだ。その『タバッキ』の店主のタバコ屋としての心意気も感じる。

ということで、本来ならその心意気に一票投じて650ユーロといきたいところだけど、今回は他の買い物もあったので見送った。そのかわりと言ってはなんだけど、ハバナ産のシガーを買った。ROMEO Y JULIETA。ホテルに帰ってアルミ製のケースから出して火をつける。芳醇っていうんだろうか、とてもいい香りがする。思わず目を閉じて、禁煙かぁと煙を吐き出す。世界は変わっていく。そうだ、どんどん変わっていくんだ。そう思いながら、美しく正々堂々のライターのことを、ずっと考えていた。

☆☆☆

ジュゼッペさんの家。ダイニングルームから玄関を見る。掃除が行き届いている。正面の階段から続く2階、3階にもそれぞれ3部屋ずつある。
  3月第1週の金曜日の夜、取引先のジュゼッペさんの家に招待された。ジュゼッペさんとは1995年、僕がイタリアに通い始めて間もない頃からの付き合いである。資金がない、という単純な理由で、今からみると、当時は普通の買い物程度にしか商品を買うことが出来なかった。しかも、英語がまったくダメなジュゼッペさんとイタリア語がまったくダメな僕とは、身振り手振りで意志を通わせるしかなく、それがお互いの関係にとってのささやかな、でも大きな壁にほかならなかった。数年間はそんな時間が続いていた。

  奥さんのグラッツィアさんと営む小さな自動車部品店。最近、ドメニコという日本車狂いの青年が店を手伝うようになった。ヘッドライトのバルブが切れた、エアクリーナーを換えてほしい、ワイパーもついでに頼むよ、なんていう近所の人の声に応えて、もう30年もやっている。気負うことのない商売の仕方である。難しい顔をして対前年の売上比を云々したりはしない。雨が降れば止むのを待とう。きっと明日は晴れるさ。

  ジュゼッペさんの家は、トリノ郊外のモンカリエッリからさらにクルマで10分近く行った、まだ周囲には畑が残るとても静かな場所にある。日本で言えばテラスハウスのような共同住宅で、でも各戸3階建ての立派な造りの外観は、白壁とそれを縁取る大きな窓がいちばんに印象に残る。その窓の前にクルマを停めると、小さくカーテンが開いて、15歳になる息子のマリオの顔が覗いた。

  7段の階段を上がって玄関の前に立つ。こちら側に大きく開かれた扉の向こうに、きれいにお化粧をしたグラッツィアさんとマリオ、そしてジュゼッペさんがニコニコ笑いながら立っていた。イタリアの家にしては明るい照明、そして白い壁、深いえび茶色の床。キョロキョロ見回す僕に、感想は?と奥さんのグラッツィアさんが訊く。玄関を入って正面に広いキッチンへの入り口、左側にダイニングルーム、そしてそれに接して8畳ほどのリビングルームがある。決して広いという空間ではないけど、なんとなく僕はその場の空気にスゥーっと溶け込んでいけるような居心地の良さを感じた。

  いいなあ。僕はこういう家、大好きです。ようやく意思疎通に足りるほどに拙い僕のイタリア語に、グラッツィアさんがピアーチェ? ピアーチェ?(気に入った?)と応える。ほんとうにいい家だった。そこは僕の知っているイタリア人の家のどことも違っていた。1ユーロの無駄も惜しむような慎ましさに満ちたアンジェリカの兄、アンドレアの家。成功した中産階級が手に入れる安定の、その象徴のようにどっしりとしたロベルトさんの家。生活感のまったくない、まるでモデルルームのように清潔で空虚なフランチェスカの家。そのどこの家にもないものがここにはあった。

  それは大学卒業後ラテン語の教師になり、そこから転じて好きだった自動車に囲まれる生活を選択したジュゼッペさんの人生が運んできた、透明な善意の存在によるもののように僕には思えた。大志や野望を抱いた企業家でもなく、わが身の不遇を嘆くのに忙しい勤め人でもなかった。だから30年も人々の暮らしのそばでやってこられた。クルマは壊れるもの、部品は消耗するもの、ならばそこにクルマが好きな自分の役割を置こう。

  グラッツィアさんが毎日出会うチーズに辟易とした僕のリクエストに応えて、スパゲティ・ペペロンチーノを作ってくれた。家でこれを食べるのは初めてよ、という彼女の横で、来年から料理学校に入ってシェフを目指す息子のマリオがあれこれ批評の言葉を投げる。彼には予約して長い間待っていた『グランツーリスモ4』が明日とうとうやって来る。

  いろんなことを訊かれ、そのひとつひとつに普通のイタリア人の1.5倍以上の時間をかけ、知っている語彙を総動員して答える。そんな中で、イタリアで何がいちばんタイヘンか、という問いに、長い滞在でのホテル代の高さを言った。1ヶ月もいるとバカにならない金額です。それだったら結婚した娘が使っていた3階の部屋を使えばいい、と即座に夫婦二人が言った。トリノの中心からもそんなに遠くないし、ガレージだって空いてるから。

  嬉しい申し出だったけど、僕は日本人らしく曖昧に笑っていた。こんな時には笑っているだけでいい。そうそう、マリオ、『グランツーリスモ5』が出た時には、日本で買ってきてやるよ。ずっと早く手に入るから。マリオは満面の笑みをこちらに向けて、それから子供らしい表情で両親の方をちらっと伺った。

 いい家だなあ、と思う。ユーロの荒波に揉まれるイタリアで久しぶりに出会った柔らかな光景が、きっと明日は晴れるんだという予感を、僕にも運んできそうな夜だった。





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