イタリア自動車雑貨店
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第45回  ●ブレラとラポとフランカと




レストランの外のテーブルの脇が隣の自動車修理屋の仕事場。
ここでジャッキアップして、ツナギの整備工がクルマの下にもぐりこんでいる。

  今日、ブレラを見た。もちろんショー会場ではなく、公道で。トリノのチェントロからアウトストラーダA21号線方面へ南下する『イタリア統一大通り』を、”PROVA”のナンバープレート以外には何の偽装もなく素のままで走っていた。色は赤。

 片側3車線のいちばん左側で渋滞につかまっていた僕の横を、スーっと華やかな赤色が通り過ぎていくのを、瞬間、目の端で捉えた。それがブレラだった。ボディカラーのせいではなく、まさにたたずまいそのものが華やかで、モノクロ写真の中に一点だけフルカラーの物体を置いたような、そんな幻惑のようにさえ感じる。久しぶりに見たイタリアのクルマ。老後に備える実直な人生設計を、傲然と笑い飛ばしているかのような不敵なヤツ。

 ちょうどその1時間ほど前に、『ACI(イタリア自動車クラブ)』の100周年を記念する展覧会を見に、トリノ自動車博物館に行ってきたところだった。この100年のイタリアの自動車の歴史を、実車とそれにまつわるさまざまなメモリアル・ガジェットや、独特の暗さを湛えるモノクロ写真で辿る。ある年齢から上の人間にとっては、懐かしさいっぱいの催しだ。実際、その範疇に入る僕にとっても、この10年間にイタリアで見たほかのどんな展覧会より素晴らしいものに思えた。

 でもそれは、すべて良く出来たレクイエムのゆりかごである。現実のざらざらした手触りもなく、未来を見据える畏れとも無縁な、生暖かく懐かしい思い出の世界。きっとACIの100年を通してそこにいる誰もが見ていたものは、ほかの何でもない過去の自分自身に違いない。今の自分よりはずっとましだったと思える自分自身がいる、あの日、あの時。思い出はいつだって優しすぎる。

 うまいなぁ、と思う。1960年代のコーナーには、「階級を壊せ!」と大きく書かれたプラカードを持って群れをなすイタリアの学生と、古き佳きAlfa Romeoの写真が並列されている。そうだよ、かぐわしくよみがえる。日比谷公園から飛び出したデモの隊列のすぐ脇を、滑るように疾走していったのは、まさに緑色の1750GTVではなかったか。で、僕らは何を壊したのか?

 なんてセンチメンタル・ジャーニーさながらの時間を過ごした後に遭遇したブレラだった。低く、前のめりに構えたフォルムは、Alfa Romeo自らが好むAlfa Romeoのカタチだ。進むのは前、そう決めていると言わんばかりに前を向く。ユーロに揺さぶられ続ける今のイタリアの閉塞的な状況と見事なコントラストを描いている。いいなぁ、ブレラ。

 円形ロータリーを右に抜け出してブレラは走り去っていった。ACIの100年はここに置き去りにしていこう。靄に包まれ始めたトリノの夕暮れの中に、ブレラの引く赤い尾がいつまでも残っていた。

☆☆

 ジョバンニ・アニエッリの孫、ラポ・エルカン(LAPO ELKAN)が麻薬使用の容疑で逮捕されたのは、トリノにしては珍しく夏のような陽気が残る10月のことだった。ゲイを集めた自宅でのパーティの翌朝、麻薬の大量摂取による意識不明の状態で見つかったという。その時、女装していたとも言われている。
立ち尽くすフランカ。不敵な笑いに凄みあり。それにしても、こうやって1日客を待つ。
忍耐、忍耐の仕事である。

 トリノの街にとって、これは一大ゴシップである。まるで庄屋様の家に起こった不祥事を村人が密やかに語るように、僕が知る人は誰もが少し声のトーンを抑えて言う。Tanti Soldi(あり余る金)こそがいちばんの問題だったんだよ。アニエッリ家も呪われたもんだな。

 30歳にも満たずにFIATの要職に就いたのはもちろんその出自によるものだけど、それでなくとも確かにアニエッリ家ならではのその富豪ぶりは天を衝かんばかりの凄さである。FIATの窮状が巷間どれほど声高に叫ばれてはいても、アニエッリ家自らの資産状況はまた別の話なのだ。

 ラポはここ最近のFIATのマーケティング戦略の牽引車でもあった。古ぼけた(と思われていた)昔のロゴを前面に押し立てて、FIATにハイエンドなファッション・イメージを付加していったのは、彼のアイデアによるものであった。だから、当然注目も浴びていたし、今後さらにFIAT内での階段を順調に駆け上がっていくものと予想されてもいた。

なのに、だったのである。

 僕はこのラポの一件を耳にした時、アニエッリの一人息子、エドアルドのことを思い出さずにはいられなかった。アウトストラーダの高架上から、身を投げて命を絶ったエドアルド。2000年11月15日のことだった。

 幼くしてFIAT王国の後継者と目されていた彼は、しかし、その期待からは遠く離れたところで、その期待を裏切り続けるデカダンスに生きていた。死後、その生活ぶりは、薬に侵されていて狂人のようだったと伝えられる。そして、このときもTanti Soldiの声を聞いた。金があり過ぎるとろくなもんじゃない、って。

 う〜ん、そうかぁ、と思う。富豪の子弟の退廃と放蕩なんてのは、あまりにも類型的でわかりやすくて、だからどこかでほんとうのこととはズレているような気がしないでもない。そんな環境の中に身を置いたことがないので、何とも言いようがないけれど、もし自分がアニエッリ家に生まれていたら、どうだろうか。僕なら、断じて彼らと同じである。それはね、簡単に言ってしまえば、人間ってそういうものだろうから。


弱い人間だからだ、と言われれば、はい、その通りです、と認めざるをえないけど、はたしてどうなんだろうか、あのアニエッリ家の一員でいる重圧っていうのは。夕暮れのブレラをみて、ああ、いいなぁ、って思えるほどにクルマが好きでいられるんだろうか

 エドアルドの死後、新聞に載った1枚の写真がある。そこには、ジョバンニ・アニエッリの傍らでペダルカーに乗る、澄まし顔の幼いエドアルドがいる。自死した日、彼をアウトストラーダに運んだのはボロボロのフィアット・クロマだった。そのペダルカーとクロマの間で、持てるがゆえに失い続けなければならなかった彼の短い生涯を想うと、Tanti Soldiの一言で片付けてしまうのはあまりに忍びない。

☆☆☆

ようやく客だ!と思ったら単なる近所に住む知り合いの男。大柄のフランカは当たり前だけど大きい。正々堂々、投げ飛ばされそうだ。これが商売にとってひとつの障害かもしれない。
  とうとうフランカと知り合いになってしまった。フランカは僕の住む1階の部屋の10mほど先の道端を根城にするオカマの売春「婦」。身長180cmほどの大柄で、ほとんど毎日僕の部屋の窓のすぐ外に立っている。

 僕は住宅地ともオフィス街ともつかない地区に住んでいるのだけど、ここは昼間から四つ角ごとに売春婦が立つので有名だ。タクシーに行き先を告げるのに、マダマ・クリスティーナ通りの近くの売春婦が立っているところ、と言えば、簡単にわかってもらえる。便利である。

 そのフランカとはここに住み始めた5月以来、頻繁に顔を合わせるようになった。その前から、僕は「彼女」がオカマの売春「婦」だということは誰からとはなく聞いて知っていた。でも、顔を合わせると言っても、お互いに無言で、小心者の僕は目が合うとすぐ視線を逸らしてしまうし、フランカはフランカで、あんたなんかに用はないよ、といわんばかりにツンとしていた。

 それがこの11月。出先からクルマで戻ってくると、ガレージの前に水色のFIATブラーバが斜めに鼻先を突っ込んでいて、クルマを入れることができない状態だった。腹立ち紛れにクラクションを何度か鳴らしていると、小走りにやって来たのがフランカだった。

 ごめんなさい、まだ、2,3分しか停めてないのよ、と太い声で悪びれずに言う。これじゃ入れないから困るからね、と文句を言う僕に、ここに住んでるの?なんて訊いたりする。知ってるくせに。

 ああ、とぶっきらぼうに答える僕に、今度は、中国人?と訊いてきた。いや、日本人。それにしても、クルマはまだそのままである。早くどけてくれよ、と思ったけど、ついでとばかりに名前を訊いた。フランカ、と即座に「彼女」は答えたけど、これは女の名前だからほんとは違う。フランコじゃないのか? でも、そうやって名前を知った。

 それからは台所の窓を開けると「彼女」がいて、ボンジョルノ!の毎日になった。「彼女」は結構人懐こくって、あまり窓を長く開けてるといろいろ話しかけてくるので、すぐに閉めることにしている。なぜだか話してるとそわそわしてきてしまう。

 それにしても、1日中見ているわけではないから正確にはわからないけど、立っている姿ばかりを目にする。暇を持て余して路上の鳩を蹴飛ばそうとしている時もある。はたして客がついてるのだろうか、なんて心配していたら、つい先日、初老の白髪の男がクルマに「彼女」を招き入れているのを目撃した。仕事だね、フランカ。良かったな、フランカ。

 「彼女」と面と向かって話すのは相変わらず苦手だけど、なんとなく僕は自分の住むこの辺りが好きである。フランカがただひたすら立ち続ける窓の内側で、隣の夫婦は大声で喧嘩しているし、僕はシューマッハのサインの入った額を一心不乱に磨いていたりする。路上にも窓のこちら側にもそれぞれ生活があって、その距離が言葉を交わしあうほどに近い。

 人は世界のあらゆるところでいろいろだ。それは当たり前のことだけど、改めて今日もまた、そうなんだな、と僕は思っている。





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