イタリア自動車雑貨店
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第46回  ●君が踊った祭り




メルカティーノ。この怪しげな、いや、まさに怪しさ横溢のこの場所は、玉石混交。ここで宝物を発掘するのにもそれなりの嗅覚が必要だ。僕はここでクルマ世界に生きる様々な人種を知った。

 住宅街の細い道から左折して大通りに出た瞬間、そこに待ち構えるようにして立っていたPOLIZIA FINANZA(経済警察)にクルマを停められた。そろそろ勤め帰りのラッシュが始まろうとする夕暮れ。それはモデナでのことだった。慇懃無礼を絵に描いたような不機嫌な顔つきの中年と、その部下とおぼしきおそらく20代後半の二人組。サイドウィンドウを降ろした僕に、窓越しから尋問を始めたのは中年の慇懃無礼氏の方だった。

 免許証、パスポート、ドキュメンティ!(車検証のようなもの)、と報われぬ人生へのやり切れなさを糊で貼り付けたような口元を少しだけ動かして、その警官は言った。僕は無言で要求されたものを手渡す。国際免許証を何か不可解なものでも見るような目つきで眺めているので、日本の免許証も必要か、と先回りして言ってみる。が、聞こえてるのかいないのか、ただ不機嫌そうに首を振るだけだ。そしてひとり言のように、さて、OK、と呟く。えっ、もう終わり。やれやれ、良かった、良かった、と思ったら、続きがあった。ラゲッジ・ルームの中を見せろ、と言う。イヤな予感がスッと背中を走る。

 クルマを降りてラゲッジ・ルームを開ける。そこにはその日、モデナで集めたFerrari関連のレアな品物が満載してあった。案の定、紙袋に入れてあるもの、エアキャップで厳重に包んであるもの、小さなダンボール箱、そのすべての梱包を解いて見せろという。荷物を全部路肩に降ろした。憮然とした思いが胸の中に満ちる。傍らを行き過ぎるクルマの中からいくつもの好奇の視線が注がれる。今日の食卓の話題のひとつがこれで出来た、というとこだろうか。

 ひとつ梱包を開けるたびに、どこで買った?と訊かれる。スコントリーノ(レシート)を見せろ、と求められる。ない、と答えた。これは全部メルカティーノ(蚤の市のようなもの)で買ったから、領収書なんてもらえないですよ、知ってるでしょ。と落ち着いて言ってはみたものの、警官はあきらかに僕の言葉を信じていないようだった。それはそうだろう。嘘なんだから。でも、10年もイタリアでやってきた。こんなことで動揺してなんかいられない。ここは押し通すしかないのだ。これは全部メルカティーノで買ったんです。メルカティーノに行って、業者を調べてもらうしかないと思うけど……。

 路肩は中国人が路上のビニールシートの上に広げるちっちゃな露店のようになった。梱包を解かれた写真の中のシューマッハが僕を見ている。お前もタイヘンだなぁ、オレのために、とは言ってないけど、その時のシューマッハの目はとても慈悲深かった。長くなるな、と思った。これは時間がかかる。慇懃無礼氏は携帯電話をポケットから出して、どこかに電話をかける。受話器を耳にあてながら、行き交うクルマの隙をついて道路の反対側に歩いていく。広げた「露店」のそばには、若い警官と僕が残された。

 寒い。身体が冷える。クルマからコートを取り出してはおった。若い警官の視線を感じる。その視線をうまく受けとめられなくて、ギクシャクとタバコに火をつけた。ついでに、景気はどう?と若い警官に話しかけてみる。自分の悪い癖だ。こんな時に距離を縮めようとする必要なんてないのに、余分なサービス精神が頭をもたげる。

 若い警官は、お前はバカか、っていうような顔をしてまじまじと僕を見た。そして、仕方がないなあ、というような哀れみのこもった感じで、まあまあだよ、と答えた。まあまあ? まあまあ、ってどういうことなんだ、経済警察がまあまあって、とは思ったけど、そもそも自分の問いかけ自体がチンプンカンプンなんだからこんなもんだろう。それからはもう黙っていた。

 道路の反対側では慇懃無礼氏がまだ電話で話している。直径1mぐらいの円を描くように、グルグルその場で回りながら、時折僕のパスポートに目を落とし話し続ける。早くしてくれよ。何を話してるんだよ。どんどんイライラが募る。これからまだ4時間近くも走って帰らなきゃならないのに。霧が出てきたらもっと時間がかかる。この後に約束を入れてなかったのがせめてもの慰めだった。

 イタリアにいると、計画通りに物事が運ぶほうが奇跡的なことだけど、こんな時にはほとほとこの国がイヤになる。針小棒大で、事大主義のイタリア人。安請け合いで、でも出来ないとなると百も二百もその理由を垂れ流すイタリア人。5分とは20分、すぐそことは10km先のことだ。延々と続くレジの列。なのに、その隣のレジのキャッシャーはクローズの札を出して化粧を直す。ボタンがすぐ取れるスーツ。上げ下げに渾身の力を要するファスナー。安かろう、は間違いなく悪かろう。取り違いを期待するかのように同じ棚に並ぶキッチン・ペーパーとトイレット・ペーパー。それもこれもベーネ、ベーネ。盗人揃いの税関職員。ノルマーレ、コーメ センプレ。停電、断水、郵便物の遅配、チャオ、チャオ。荷物を投げるなよ。ああ、イタリアの悪口、モルト ベーネ、ベニッシモ!


☆☆

 どこで買ったかということは、つまり、誰から買ったのかということだ。そんなことは口が裂けても言えるはずがなかった。たとえば、かつて手に入れたルカ・モンデゼモロのFerrari F1チーム・ジャケット。これのそもそもの出所を僕が明かせば、F1という狭い世界の中では少なからずスキャンダルにはなるだろう。

 それなりの人間が介在していなければ、こんなものは絶対に市場に出てくることはない。建前の部分ではあってはならないことだ。でも、本音のところでは、もちろんモンテゼモロ本人を含めて、誰もがそのジャケットの行く末を知っていたはずだ。あのシューマッハだってすべてを知りながらどれだけメカニックの薄給を補っていたことか。ただ、仮にこれが白日の下にニュースとして明らかになれば、スケープゴートにされるのは、その経緯に関わったラインの中で、もっとも弱い人間である。そして僕は複雑に絡み合うそのネットワークを通して、F1の世界の端っこにぶら下がっている。言えるわけがない。

 それはともかく、僕は相手がどんなにいやがっても常に領収書を要求する。領収書を出したがらないのは、彼らがその収入を申告しないからだ。店を構えていない個人のコレクターやコレクターくずれなんてみんなこんなものだ。それでも貰う。どんな紙切れでもいいから、とにかく金銭の受け渡しがあったことを証明するものを要求する。

 だから、カバンの中を調べられるのがいちばんマズイことだった。その日、少なくとも3枚の領収書がファイルの中に入っていた。中には明細書のようにきちんと品名をひとつずつ書いてあるものまである。これを見られるともっと追及されるだろう。この名前の人間は何処の誰なのか。若い警官と路肩のマーケットの店番のようにして黙ってそこに並びながら、僕は慇懃無礼氏の携帯電話を目で追う。頭の中では領収書がグルグル回る。

 もうすっかり暗くなった。ゆうに1時間以上、そこに足止めをくらっていた。ようやく携帯電話をポケットにしまった慇懃無礼氏が、再び僕の目の前にやって来た。そしてすぐさま、まるで重大な疑惑でも発見したかのように厳かに、こちらの目を真っ直ぐに見ながら言うのだった。いちばん問題なのは、これを売った人間がこれを何処で手に入れたかということだ。このスクデリーアのユニフォーム、これを売ったのはFerrariの人間か? 

Ferrariのフラッグ以外はそのほとんどがマガイモノのFerrariもどき屋。誰が買うのかといつも思うけど、常に店を出している。継続は力なのか?

 携帯電話での長い長いオシャベリを終えて、これだった。この程度のことをまた言うために、長々と何を話していたのか。怒りが沸々とわきあがる。その思いを押し殺して、僕は言う。いや、違うと思います。メルカティーノで買ったんだから。聞いているのか、いないのか、慇懃無礼氏は腰を屈めてFerrariのピットシャツを手に取る。そして改めてそれを僕の目の前にかざした。その手が汚れていないのかどうか、瞬間的に彼の指を見る。

 わからない。メルカティーノで買ったから……。何をどう訊かれようともこう答えるしかなかった。行っては戻り、戻っては行く。質問とそれへの答えが延々と繰り返される。Non lo so. Ho comprato questi al mercatino.領収書のことも忘れて、意地になってこのセンテンスだけを返す。これだけを何度も言ってるわけだからどんどん流暢になる。まるでイタリア人みたい。

 そして、ようやく――。慇懃無礼氏は大袈裟にため息をついてみせると、大きな手にあったピットシャツをポンッと投げて路肩の市に戻した。コイツ、投げやがった。キッと彼を見る。口元を少し歪めたその表情には、不完全燃焼した怒りに似たある種の感情が看て取れる。それから、OKと言った。OKと言って、シャツを投げたのと同じように、Vai via(行け)と投げ捨てた。そして次の瞬間には背中を向けてPOLIZIA FINANZAとデカデカとペイントされたFIATプントの方に歩いていった。その後を若い警官が小走りに追いかける。

 路肩に立ち尽くしてその背中を見送った。目の先で大小さまざまな形のテールライトの赤い光が揺れる。足元の露店はそのままだ。むき出しになったひとつひとつの品物を、またもう一度包み直さなければならない。エアキャップを留めていた梱包テープが用をなさなくなっていた。クソーッ!と思う。奥歯をかみ締めて飲み込もうとするこの飲み込めない感情をどうにも抑えきれず、ただただクソーッ!と思う。

 それは安っぽい権力のカスのような看板を片時も下ろそうとしなかった慇懃無礼氏への怒りか、それとも、自分の仕事の象徴をゴミのように投げ捨てられたことへの悔しさか、いやいや、それとも、つまらないサービス精神なんかをチラチラさせて、卑しくへりくだっていた自分への愛想尽かしなのか。そんなすべてがなんだかグチャグチャに混ざり合って、むき出しの品物を包み直す自分の手の動きをじっと見ている。

 思い出すのは10年前、Ferrari Club Italiaのエンブレムを初めて手に入れたときのことだ。嬉しかった。こんなものが手に入ったという興奮で手が震えた。スーツケースに入れるのさえ怖くて、ハンカチに包んでポケットに入れ東京への飛行機に乗った。いつもこの時のことを思い出す。それが出発で、それが今でも自分の仕事のすべてだ。

 そのためには自分の受けた教育、身を置いてきた職業世界、そこで得たすべてを差し出してきた。リスクも負った。でも、その日、ラゲッジ・ルームに品物を戻す自分の手の動きに、以前のようには生気がないのに僕は気づいていた。魂の抜けた、やる気のない緩慢な動きだ。この目がじっとそれを見ていた。自分を鼓舞しなければならない。そうだ、わかってるよ、自分を鼓舞しなければならないんだ。景気はどう? 景気はどう? 景気はどう? バカだよな。いつまで笑ってればいいんだよ。ギリギリの意地にすがりつきながら僕は問う。もう情熱はないか? クソーッ!と思う。遠い友よ、おまえは元気でやっているか?

☆☆☆

 ラウロ(仮名)が捕まったよ。もう釈放されたけど、彼の家に電話をしちゃだめだぞ。たぶん盗聴されてるから。書店を経営するマリオさんからの電話で朝起こされた。この人は何を言ってるんだろうか。自分のイタリア語を聞き取る能力に不安を覚えて、寝ぼけた頭でゆっくり訊いてみた。捕まったって、警察に? 盗聴って、誰がするの? 電話の向こうでマリオさんは笑いを含ませたような声で答えた。そう、警察だよ。盗聴はFerrariだな。

 ラウロ。もう40歳も近いけど、今も独身だ。本職は印刷工。モデナに生まれ、モデナに育った。自分のガールフレンドのヌードを携帯電話のカメラで撮って、何度も自慢げに僕に見せるような男だ。学歴なんてないけれど、そんなものに頼らずとも自分がこの世で生きていくことの始末ぐらいは、自分の力でなんとか出来るほどの器量は持っている。約束しても時に起こるドタキャン。例によって、困り果てたという顔でまくし立てる言い訳。高速オフセット印刷機のゴムのドラムを睨みながら、来る日も来る日もFerrariを夢みていた男。

 いつしか趣味で集めていたFerrariに関する書籍やカタログなどのあれやこれやを、メルカティーノで売る側に立っていた。最初はフリマに毛が生えた程度の規模で、それが年を追うごとに他の「業者」とは一線を画する品揃えになっていった。Ferrariの内部に繋がる独自のルートを築き上げたのだ。モデナのチェントロから少し離れた場所に事務所も構えた。それでも本職の印刷工は続けた。 

「趣味の机」。FERRARI、FERRARI、FERRARI。寝ても覚めてもFERRARIと生きたフラヴィオさんの机。これを見て共感以外のどんな感情があるだろうか。

 2002年に一度、その事務所に警察の急襲を受けた。本来販売されているはずのないFerrari関連の品物をすべて押収され、その出所を追及された。でも、このときはその弁舌が功を奏したのか、IVA(付加価値税)脱税に対する罰金程度のお咎めでなんとか収めることが出来ていた。ラウロはFerrari本社周辺のあるショップの女主人の名を挙げて、あいつが警察にタレこんだんだ、と息巻いていた。その真偽はともかくとしても、その当時のラウロはFerrariの栄光に依存して生きる人間の妬みを一身に浴びるほどの絶頂にいた。

 その事件のあと、ラウロは瞬く間に復活した。懲りないというのか、楽天的というのか、事務所はまた元通りFerrariに関するアッと驚くような品物で埋まっていった。2005年の春頃だったと思うけど、2004年Ferrari F1のピット設備一式!を買わないかなんてことを僕に持ちかけてきたりしていた。ZEGNAの紺色のコーデュロイのスーツを身にまとったラウロは、上着のポケットにあれもこれもといろんなものを詰め込んでしまうところを除けば、スタイリッシュなビジネスマンのようにさえ見えた。

 それが今回、ミラノの高速料金所を出たところで、経済警察の検問に遭遇した。僕がモデナで出くわした「事件」と全く同じだ。彼の場合はメルカティーノの前日、大型バンに満載した品物を会場に搬入しようとする時のことだったという。仲間が他に二人。そのなかの一人はFerrariオフィシャルモデルカーを作る年金生活者フラヴィオ(仮名)さんだ。彼らはその場で足止めをくらったあと、クルマごと警察に連行され、拘束された。なにしろ、積んでいた品物の数が半端ではなかった。しかもラウロには前歴があり、その弁舌をもってしてもくぐりぬけられるような状況ではなかったのだ。翌日の新聞の記事にもなった。


☆☆☆☆

ちょっと侘しいクリスマス・イルミネーションのトリノのはずれ。自分の部屋を出てPCショップを
覗きに行く時に通る道。イタリアの取引先からその店で、クリスマス・プレゼントにと小型の液晶テレビ!を贈られた。嬉しかった。

 マリオさんからの電話を切ったあと、彼の言葉に込められていた微妙なニュアンスが耳鳴りのようにいつまでもつきまとって離れなかった。他人の不幸は……、っていうクスクスっとした響きがある。なにひとつ変わることのない日常性にさざ波を立ててくれるニュース。そのさざ波が我が身に及ばないのなら、それはあったほうがいいとも言える退屈しのぎ、なんだね。 

 ラウロは直情径行な男だから、行けるとこまでどんどん行った。ストレート一本で押すピッチャーのようだ。Ferrari F1チームにくっついて、世界各地のGPを彼の「戦い」のために転戦し、手に入れようと狙ったもののために、彼なりの政治力を駆使して奔走していた。少なくとも誰かの売込みを待ってそれで果実のカゴをいっぱいにしようなんていうタイプではなかった。悪く言えば抑制なんてものとは無縁な男、よく言えば行動至上主義のラディカルな信者だった。

 そんなラウロと7年も付き合っていた。身体を前傾させて足早に歩く姿は、オレはガンガン行くぞ!という彼の行動主義の発露のようで、そんなふうに駆け引き下手なわかりやすさが、僕には信頼するに値する男としての名刺代わりになっていた。やりすぎたんだよ、と言うマリオさんなら、時に変化球を織り交ぜて、自らの投手生命を1日でも長くするなんていう芸当もできただろうけど、ラウロにはそんな知恵が棲み付く場所もなかった。

 耳鳴りもどきを追いやって、寝起きの頭を振り振り歯を磨く。それからなかなか熱くならないシャワーを浴びて、朝いちばんの楽しみのエスプレッソを淹れる。モデナから400km離れた自分の朝はこんなに平和だ。これから簡単な朝食をつくり、ベッドを直し、部屋の掃除をする。そうか、50分もかかる洗濯機だから先に洗濯か。そうすれば全部終わって最後に洗濯物を干して時間のロスがないなあ、なんて頭の中で考えている。平和なもんだ。僕がかろうじてくぐり抜けた経済警察の検問に、まるで玉砕のような規模で遭遇したラウロの今日の朝はどんなだろうか。心臓を病むフラヴィオさんはいつもそうだったように、今朝もガレージの片隅の趣味の机の前に座っているだろうか。

 いつか何年か前に、マリオさんのような書店を持つのが自分の夢だ、とラウロが言っていたことがあった。そのために今頑張ってるし、英語も勉強するつもりだ、とも。でも結局、それからも書店経営に向けて堅実に計画を練っているような様子はなかったし、英語なんて全然勉強していなかった。高価なものを手に入れてそれが売れたりすると、”Many business!”なんて誤用もいいところの英語を誇らしげに連発しているありさまだった。その場しのぎで、言い訳放題のラウロは、いつまで経ってもそんな調子だった。

 だから、この「玉砕」こそが君そのものだよ、と僕は愛惜をこめて7年間の思い出とともに捧げよう。この派手で完膚なきまでの幕引きは、まさにそれまでのラウロの軌跡から真っ直ぐ一本伸びる道に違いなかった。その場しのぎ、言い訳放題の裏側で、行動だけはいつも単純に同じところに向かっていたから、僕に限らず誰もがいつかはこうなると想像してもいただろう。

 不注意、向こう見ず、思慮に欠ける、脇が甘い、等々、彼についての常識と倫理の岸辺からの遠吠えは、どれもこれも御説ごもっとものそれだ。でも少なくとも、好き嫌いの座標軸の上でラウロを語るなら、足の裏を切りそうなほどに細く鋭利な祭りの舞台の上で、そこで一心に踊り続けたラウロが、そんな彼が僕は好きである。他人にふりかかった禍に含み笑いのオブラートを被せ、e-bayの覆面の下で向こう岸からコレクターを煽る男より、そして、生き残って安穏と家事の順番に頭を巡らせているような男より、百倍もマシだ。

 窓から頼りない冬の陽の光が入ってくる。自分の手を見る。ここはイタリアだ。12月、まだイタリアにいる。洗濯機が最後の脱水に入ったことを知らせる絶叫にも似た音を撒き散らしている。ウルセーぞっ、イタリアの洗濯機! 自分は何であり、何でなかったか。10年ここで何をして、何をしなかったか。モデナの路肩に流れた空虚に、このままがんじがらめにされていくのか。自分だけが無傷のくせに、甘っちょろいぜ。

  フラヴィオさん、どうか顔を上げてくれ。

  自分を鼓舞しなければならない。下を向きそうになったときにいつもそうだったように、今だって自分を鼓舞し続けなければならない。ラウロ、君が消えた舞台の上を、僕はまたヨロヨロと歩いていくさ。まだFerrariをやってやる。





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