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トリノの夕陽
スーパーで買い物をした。ほんとは炒飯を作るのにタマゴだけが欲しかったのだけど、なんとなく、それだけじゃなぁ、って気がして、ヨーグルトとイチゴのジェラート、それからキッチンペーパーをカゴに入れた。部屋の近くの小さなスーパー、日本で言えばちょっと大きなコンビニ程度の店だから、レジに行列なんてめったにない。この日も6、7歳の娘を連れた母親の後ろに並んで、自分の順番が来るのを待っていた。
その親子連れの買ったものがポスレジを通過して、合計金額が表示された。と同時にレジに立っていたそのスーパーの若主人が声に出して金額を告げる。22.30ユーロ。母親がレジ台の上に小銭から並べ、最後に10ユーロ札を1枚置いた。奥さん、これ違うよ、10ユーロ札じゃなくて、20ユーロ札じゃなけりゃ。若主人の声に母親は自分がレジ台の上に置いた紙幣と硬貨に目をやり、それから顔を上げて若主人を見つめた。次に来る時に不足分は払うから……。
ダメだ、と彼は言った。品物を減らしてくださいよ。どれを減らしますか? と、目の前に並んだ品物に手をかけた。どう見ても、たまたま持ち合わせがなかったというふうには見えなかったから、彼の立場からすればそうするしかなかっただろう。母親がいくつかの品物を自分の手で端に除けた。砂糖にパルミジャンチーズ、そして子供のためのお菓子が外された。若主人が言う。ああ、これでもあと2.20ユーロ超えてるなぁ。奥さん、2ユーロある? 母親は財布を覗き、そして首を振った。それからもうひとつお菓子を外した。
母親に寄り添っていた子供が、マンマーッ!と彼女を見上げ、顔を赤くして泣き始めた。ポロポロ、ポロポロ、大粒の涙が次から次にこぼれてくる。母親は静かに、でもとても強い調子で、泣かないで!と娘に言った。その子はもっと大きな声で泣いた。もっと大きな声で泣いて、そのまま手の甲で涙をぬぐいながら一人でスーパーを出ていった。
若主人は何度か目をやっていた。困難なレジを終えた母親がスーパーの袋を提げて出て行く向こう側、さっき泣きながら女の子が走り去ったあたりに、心もち背伸びするような格好で視線を向けていた。なんとなく気まずいような雰囲気のまま僕の番になった。顔なじみの若主人は、お菓子はいつか買える。これで終わりじゃない、そうだろ? と僕がカゴに入れたバナナヨーグルトをポスレジに通しながら言った。これで終わりじゃないさ、そうだろ?
そうだね、と頷いてスーパーのドアを押した。ワッと押し寄せてくる街の喧騒。いまひとつうまくはかどらない自分の仕事のこともあって、自然に大きなため息が出る。チャオ、チャオ、ベーネ、ベーネの洪水の中を歩く。西の空、きょう一日に幕を降ろすように夕陽が沈んでいく。埃っぽいこの街には不似合いなほどに美しい橙色のその夕陽が、きょうは金がないと屈託なく言える豊かさの上にも、常に何かを諦めねばならぬ剥き出しの貧しさの上にも等しく降り注ぎ、軌道敷に照りかえってキラキラ輝いていた。
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11:58 by サンサロ |
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